2020年6月10日水曜日

清濁併せ持つのが人間



前の記事でも書きました。


別に用語するつもりは全くないんですが、
ふと考えることがあるので書くことに。


人間は清濁併せ持つもの。


ですよね?


私だって欠点たくさん。てんこ盛り盛り。
他人には驚かれることが多いんですが、
基本は短気です。でした。


かなり改善したつもりです。

これについて書くと本筋からそれるんで
深堀りしませんが、
蓋をしただけではありません。
根治するために色々試行錯誤しました。

もちろん、未だ突沸することもたまにありますが、ほぼなくなりました。

蓋をすることを改善だと勘違いすると、
圧力鍋みたいに内圧が高まって、
きっと精神だったり、肉体だったりに
支障をきたすと勝手に想像しています。


こんなことではなくて、
人間は清濁併せ持つってことです。


でも、どうも他人に対しては
清廉潔白を求めすぎるのかな。


他人を見たとき、自分と他人を分け過ぎているからでしょうか。


同じ人間というカテゴリでみたとき、
ある意味で仲間ですよね。


お互い道の途中。
歩いてきた距離は違えど、
人間としての成長でしょうか、
幸福でしょうか、
同じような目的をもって生きている仲間。


本人が気づこうが気づくまいが。


で、他人が自分より随分後ろの方で
過ちを犯したとき、
あ、自分もそんなことってあるよな・・・


理性で我慢しているし、
たまたま環境がうまくいっているだけで、
自分も同じ状況になれば、
同じことをしていたかも・・・


そんな想像をするだけで、
ちょっぴり心穏やかになるような気がします。


なんでもかんでも許して見逃せ!
ってわけではありません。

自分もあるよな、あるかもな・・・

って思いのもとに言葉をかけるなら、
もっともっと建設的というか、
お互い苦しみが少ないアドバイス、
成長へのプロセスを歩める気がするんです。


人間は清濁併せ持つ。
いや、濁の方が多いような^^;


だからこそ、
他人のふり見て我がふり直せ
という心境で、学びあっていけたらなって思います。

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