2020年6月10日水曜日

自然から学ぶ生き方

2日連続でトンローのドンドンドンキに行きました。


1日目は身内の誕生日プレゼント購入のため。

2日目は暇している娘が
「日本に行きたい」と言うので、
日本っぽいドンキに連れて行きました。


新型コロナの影響で家で過ごすことが多かった数か月。


見慣れた環境の中では自然と刺激が少なくなり、
どこかエネルギーが鬱屈しているような感じがあります。


なので、こうやってぶらぶらとドンキでも散歩がてらに行くのも
悪くはないなと感じました。
家からはバイクで10分弱くらいなんです。


最近ちょっと考えていることは、
幸せを常に求めると執着心を生んでしまうなってこと。


自然を見れば四季があり、雨も嵐も晴天もあります。


そうやって移り変わることが自然なことであり、
ずっと晴れなんてことはありえません。


だけど人間として脳をもって生まれていると、
いつも晴れを目指して行動することが多いのではないでしょうか?


自分はそのような傾向があります。


それは晴れへの執着のようなもので、
晴れではない日をマイナスに捉える考え方で、
必ず不幸の種になる気がしています。


だから、はじめから雨や冬を認めるというか、
うまくいかないことは当たり前といった心境でいたら、
もっと雨の日も、冬の寒さも楽しめる気がしています。


でも雨ばかりでは嫌ですが。


人間の心も生き方も
四季のように、天気のように移り変わることが当然。


そんな自然のような生き方ができたらなって思います。



2020年6月8日月曜日

日本人として憂う



人生折り返しになると、
色々と考えることが変わってくるものだなって実感しています。


学生時代は、ポパイ、ホットドックプレスなどで
自分の外面を磨くことを大切にしていました。


歳を重ねるごとに自分の生き方を模索するようになり、
天職とは何か?ということを追求した時期がありました。
それと同時に住む場所も。
そして内面から内面を磨くことに意識が変わります。


そして今。


自分が重要に感じることは移り変わり、
日本のために何ができるのか?
次世代を生きる子のために何ができるのか?
ということをよく考えるようになりました。


それはタイという海外で客観的に日本を見てきて、
自分が日本人であるということを悪くも良くも
多文化、多人種と接しながら実感してきたからかもしれません。


あまりマイナスなことを言いたくないのですが、
日本の未来に対して不安をおぼえています。


ただ、これだけ「個性重視」「個人優先」の考え方が
当たり前になってくると
日本の未来なんてどうでもよくて、
自分の生活がよければいいじゃんって人も増えている気がします。


自分だけ道のポイ捨てタバコ一本拾ったところで、
道路の吸い殻は消えません。無力感があることは
やらないに限る。

そう考えることに似ているのかもしれません。


でも、日本人として「個人」を優先できる余裕があるのは
日本という国があってからこそです。


世界には「個人」なんて言っていられない酷い状況の国、地域があります。


確かに日本には批判されるべきことがたくさんありますが、
自分の生活を振り返ってみれば、
どれだけ日本に守られているか。

海外に出るとその庇護がかなりなくなります。
だからこそはじめて見えてくるもの、
知識ではなく体験からの気づきがあります。


グローバル化という言葉は響きが良いです。
でも、その言葉の影で日本人としてのアイデンティティを捨ててしまうことが
あってはいけないことだと思います。


でも、実際はどうでしょうか?


自分を愛せない人、自分のアイデンティティが確立されていない人が
他人を愛せるものでしょうか?
他人のアイデンティティを尊重きるのでしょうか?


日本の教育で「我が国と郷土を愛す」を目標に掲げられても、
日本を好きだと思うかのアンケートの数値を見れば
その教育の成果は明らかです。

でも、ずっと変わりません。
何年も議題にあがったままです。


もう変えられないのかもしれません。


教育者は中立でなければいけない。
中立ってなんでしょうか?
本当に考えたことのある先生はどれくらいいるのでしょうか?


右でもない。
左でもない。

中心とは何か。
【日本で生まれた自分】の中心とは何か。

考えてみてほしい問いです。


タイの経済発展を目の当たりにしながら、
私が日本を離れた10年前と日本はそんな変わっていません。
むしろ悪くなっている気がしています。


それでもどこか日本に全体的に漂う空気感が
「別に自分とは関係ない」
「日本は大丈夫」という感じです。

確かに関係ないですし、
個人が騒いでもどうにもならない問題かもしれません。


でも、自分は人生を折り返してみて、
自分の生き方を考えたとき、
次の世代に生きる子たちのために何ができるのか
を考えるようになった。
ただそれだけです。


他人に強要するつもりはありませんし、
考えていない人を否定するつもりもありません。
ただ、考えを述べたいだけです。


北海道の面積の中の約静岡県くらいの面積が
某国の人に買われているという事実を知っている方は
どれだけいるのでしょうか。
※静岡じゃなかったかもしれませんが、
広さが問題なわけではありませんので、
詳細はご自身で検索してください。

日本の土地が日本人のものでなくなっていることが
本当に起きている事実です。


そんなことあるわけないでしょ?
と思う人も多いみたいですが、
過疎化している自治体にとっては、
ありがたいことで未来のことより今の金欠。
事実です。


食糧自給率が100%を下回っている日本にとって、
農業の中心地の土地が減っているという事実が何を意味するか。
もし、他国との摩擦で万が一輸入関係が崩れたら自滅します。
世界的な飢饉が起き、食料の輸入がストップすれば自滅します。

このことに問題提起をすれば、国粋主義者と思われかねません。


他にもあげればきりがないです。
ちょっと調べればおかしな事は
たくさんあります。


テレビの報道では教えてもらえません。
情報は受け身では手に入らないものがあります。


日本が平和なのはアメリカのおかげです。
それは日本の近海を見ていたらわかることです。


アメリカの傘がない国の他国の近海がどうなってしまったか。
書いたら検索ワードで何か自分に不都合が起きそうで書けないくらいにまで
なってしまっていることもあります。
弾圧され続けるチで始まるあの仏教の国の現状も同じです。


それを知らない人は多いですし、
そんな話をしたら「右」というレッテルを貼られ、
まるで危険な思想をもっているかのような目で見られる風潮もあります。


でも、アメリカの傘がなくなれば、
日本はどうなるのか明らかです。
過去の歴史も証明しています。


だから憲法改正も視野に入れる必要はあるのに
政治は森かけ、桜、マスク批判・・・
国の存亡を左右する重要な話までたどりつけません。


でも、このままいけば〇〇諸島も実効支配されることなんて
明らかだし「その次」が起きることも明らかです。
沖縄から基地を撤退した先、本当に大丈夫でしょうか。


が、見ようとしないというか、
想像すらしない人は多いです。
安全な今が当たり前だからです。


今吸っている空気はあって当たり前。
わざわざ考える人はいません。


で、今こんなことを初めて語りましたが、
すると「右寄り」だとレッテルを貼られ、
煙たがれる風潮が出来上がっています。


下手すれば就職時期の人なら
就職試験でマイナスポイントになりかねません。
こいつは協調性が欠けそうだな・・・
なんか強い思想をもっていて危険そうだな・・・
など。


先日はマスクに日の丸がちょろっと入っていただけで
政府との関係があるのかと企業が叩かれ、
マスク生産停止になったとの報道を見かけました。


日本国旗は日本人の国旗です。
マスクにつけただけで叩かれるって・・・
国旗を見ただけで
街宣車や、暴走族のイメージが先行してしまう。
そんなご時世なのかもしれません。


日本で一番掲揚されている国旗はフランス国旗だとか。
フランス料理店の(^^;


タイはタイ国旗が掲揚されているなんて当たり前の光景です。

が、日本でマンションのベランダに日本国旗でも出そうものなら、
あの家大丈夫かしら?って白い目で見られかねないです。


トランプが叩かれてしまうのは彼の言動にも理由はあります。
でも、トランプが失脚すれば徳をする国がありるのも事実。

今の暴動の裏に起こっていることも少し調べたら見えてきます。
でも、そんなことを言えば陰謀論者というレッテル。
考えようとも言いづらい風潮。


だから、自分の日常の写真をアップして語るだけの方が安全です。


でも、こうやって書かなければならない時期に来ている
ということだけはちょろっとでも知っておいてもらいたいので
今回が最初で最後で書きました。


自分も危険思想をもっている
とレッテル貼られても徳はないので・・・


もう海外から見守るだけしかないのかという
寂しい思いを抱きつつ書いています。


でも、自分が何ができるのか、したいのか。
日々の生活の中にできる隙間時間を使ってでも
それを考えていきたいと思っています。


一度しかない人生なので。


追伸
かといっていつもこのようなことを
考えているわけではないですよ(^^;

(と右寄りだとレッテル貼られないための
 防御の追伸をしなければならないのが今の時代、
 これ消そうかな・・・とすら思えるのが
 今の時代を表している気がしています。)

2020年6月3日水曜日

息子が空手を辞めた日

長年通っていた息子の習い事である空手。
小学生低学年から続けてきた
思い出深い習い事ですがやめることに。


場所が移動しての送迎的なことが大きいです。

息子のモチベーション的なことも大きい。
特に最近は「総合格闘技」「柔術」を習いたいと。

自分も高校生のころ、伝統空手に疑問を覚え、
サンドバックを購入して公園で蹴りまくって、
友達と直接打撃のスパーをしていた時期がありました。
自分の血を受け継いでいるんだなぁって感じます。


これも理由としては大きい。
中2となり、進学のことを真剣に考え始める時期であること。


色々な理由が複合的に合わさって
やめることを決めました。


思い出がたくさんつまっている習い事です。
師範が死去された後も保護者の方が頑張って運営されていました。


自分は自営で正直、中途半端に介入すると、
急に手を引かなければならない時期もあるかもしれないので、
はじめから運営などには介入しませんでした。


それなので、頑張られている方々には頭が下がる思いがあります。


しかしながら、
ちょっぴり残念なことも。


頑張られている中心のお世話の方にどうも
このブログの内容を自分流にちょっぴり味付けし、
【曲解】して伝えた人がいたようです。


集団になるとその様な人は
必ず1人くらいはいるものなので
仕方がないなとも思います。


伝えた人の意図は知りません。
知っても仕方がないこと。

ただ、そのような人がいるようで
相互の理解にちょっぴり誤解が生じてしまいました。


別にほかの方なら誤解が生じても構いません。
深い関係もありませんし。

しかし、お世話の方は
道場のことを真剣に考えられていた姿勢が伝わってきたので
私は好感をもっていました。
なので誤解を解くべく少々対話をしました。

思っていた通りの方で、
しっかり本意をわかっていただけたのでスッキリ。


お節介でゴシップ好きな方のおかげ様とでもいいましょうか。
そんな人なのかも知りません。
勝手にこっちで想像しています。

今は想像していません。
終わったことです。


とにかく、
ちょっぴり面倒なお土産をもらった気分です。
お土産はすぐ捨てましたが。



小学校のころ。


小さなトラブルの火種を見つけると、
すぐに当事者に言いつけ、
わざと大きな炎🔥にしようとけしかけ、
それを楽しんでいるような子がいました。


「〇〇ちゃんがこんなこと言ってたみたいだよ・・・」


大人になっても似たような性根の人もいます。
そのような人とはできれば関わりたくないです。


もしかしたらこの文章を読み、
次なる火種を見つけたと心ざわつかせ、
早速関係者に「これ見てっ!」
と伝えているかもしれません。

当事者間で誤解は解けた
と書いているにも関わらず。

どうぞご自由にという思いです。
そうなると若干予想して書いています。


その人の人生の刺激となり、
少しでも充実するのであれば
こうやって書いた意義もあるというもの。


伝えられた方も「また来たか」
と内心うんざりしつつ、
苦笑いで話を合わせていることでしょう。

※この件についての質問に関しては答えるつもりはありません。
 もう終わったことです。

お世話になった中心の方は
責任感が強い方なので、
これからも色々思い悩むことがあるかと思います。


自分で解決できる問題、できない問題を判断しつつ、
できる限り肩の荷を軽くする方法を考えてほしいと思っています。
ご自身の健康のためにも。


道場が繁栄することを陰ながら願っています。


そして今は亡き師範。
ありがとうございました。

また息子は空手を再開するかもしれません。
タイか日本かはわかりませんが、
その時は見守っていただけたらと思います。

2020年6月2日火曜日

タイで生きる人生と出逢いに感謝

自分がまだ20代の頃。
タイに渡って初めて働いた会社の同僚と
久しぶりに再会しました。


同僚は今もそのときの会社で働かれていて、
あまり変わらぬ姿を見て、
懐かしい香り、思い出が蘇ってきました。


自分も見た目はそんなに変わっていない(お世辞かな?)
と言ってもらって嬉しい限り。



ただ、チャラさが無くなったところが変わったとか。

チャラさか・・・

20代は色々ありましたからね。
若気の至りというか。

でも、我武者羅に生きていたことは強烈に覚えています。


何くそ!!


タイに渡ってきて、現地採用として
初めて働いた会社は18000Bでした。


尊敬できる上司の生き様を真似したり、
コンドミニアムを眺めて歯を食いしばったり。


そして転職してからも15分で昼飯を終わらせて
タイ語の勉強をしたりと我武者羅でした。


今振り返ると導かれたような人生だなと感じています。


偶然でしょうし、
自分で切り開いたという思いもありますが、
必然だったような。


彼と別れてからの自分の人生は、
本当に目まぐるしく変わり続け、
偶然の出逢い、タイミングに生かされ、
奇跡的に今に至っている気がしています。


自然と感謝の念が湧いてきます。


自分の人生。並走してくれている妻。
信じてくれている息子と娘。
育ててくれた両親。
関わってくれた皆さん。


ありがたいです。
今はそんな気持ちが湧いてきています。

有り難い。