2026年9月27日日曜日

一生懸命に生きる

 人生が一度しかない。しかも有限。

当たり前なことだけど、

あらためて残酷だし、幸せだなって思う。


有限だからこそ、今を多少は一生懸命に生きようって思えるし、

今を大切にしようって思える。


残酷なのは、二度味わえないこと。

もしこうだったら、、、

それが味わえない。


でも、だからこそ、今の選択を正しいと信じて

一生懸命に生きるしかないのかな。


要するに、どっちにしろ「一生懸命に生きる」ってことは、

自分の中では共通していること。


そんなの誰だって一生懸命に生きてるよって言われそうだけど、

けっこう一生懸命に生きてないことに気づいていなかったりする。


自分は本当は何をしたいのか。


それが無いと暇になる。


だから、誰かが作り出したエンタメの世界を生きる。

それでも楽しいけど、「何がしたいか」が定まっている人にとっては

その世界の魅力は薄れる。


一生懸命に生きた先、何があるのか。

知らんけど。


ただ、死ぬときに、ふと笑顔になれたら

それだけで幸せなんだろうなって思う。

タイの路地裏で生きる猫


2026年9月21日月曜日

周囲を気にしない陽キャが苦手

夜飯とリラックスも兼ねてマックに行ったときのこと。

自分の後ろでバカ騒ぎする社会人の集団がいた。


集団の中で聞こえる声で話せばいいのに、
マックにいる全員に聞こえるくらいの声でぺちゃくちゃゲラゲラ。


うるさすぎて不快だったので、違う席に移動。


それを不快と思うか否かは人それぞれ。
自分は不快だから席を移動しただけ。

良い悪いの話をしたいわけじゃなくて、
改めて自分は陽キャが苦手なんだなって思った。


内輪だけしか見えなくなって、
周囲を気にせずげらげらしている雰囲気が苦手。


たぶん、幼少期からマンション生活で、
大きな音がダメという教育をされ続けていたからなのかな。


とにかく、周囲を気にしない行動が苦手。


そういえば、思い出したけど、
ドアをバン!ってしめる人とか、
物をドスンって強く置く人とかもちょい苦手で、
それもやっぱこの幼少期の教育が染みついているんだろうな。


誰かに迷惑をかけているかいないかということじゃなくて、
単にちょい苦手なだけ。


マンション暮らしが長かった人はわかってもらえるのかな…


大きな音、声、デリカシーがないというか、
そういう行動っぽいの。

気にならない人でいられた方がストレスは少なく生きれるんだろうなぁ
ってわかっていても、こればかりはなかなか抜けない。
幼少期のトラウマ的なことって
本当に根深いものだな。。。


これって一生抜けないのかな・・・

陽キャが集まる渋谷の街

2026年9月20日日曜日

仕事人間

仕事について自分が避けたいことは、仕事人間になってしまうこと。


どういうことかというと、
デパートなどで店員が変な声色で「いらっしゃいませー」という感じ。

個性をなくし、店員然とした態度。
人間と人間で接していない感じ。
ふだんは絶対そんな声を出さないだろうという声を出し続けている違和感。


お店の店員以前に人間であることを隠すつもりは無いんだろうけど、
それが隠れてしまっている感じが嫌なのかな。


人間として 自由に生きたい。
社会で生きていからにはこれが完全に実現することは無理だとはわかっているけど、
心を仕事に売ってしまったような行動に違和感がある。


職場でも同じようなことはある。
遊んではいけないと言われている場所で遊ぶ 子がいたとします。


仕事のきまりを守ることも同じ。


自分の職場の決まりの中には変なものもたくさんあって、
その決まりを守らせることは大切だとわかっているけど、
自分は人間として問題ないと思うところにはある程度は目をつぶってもよい
と考えています。
大岡裁きです。


でも、決まりは決まりだとAI以下の冷徹ロボットのような対応をしている人を見かけると
自分とは違う価値観の中で生きているのだと思うし、
そのような人とは合わないな・・・って感じてしまう。


守る?守らない?

二択なら当然守る。


守ることは悪いことではない。
むしろ職場的には良いことなんだろうけど、
「決まりだから」守るという思考停止、人間味の無い感じが苦手。


自分はそんな人間ではない!と思っていた人も
そういう場に長くいると徐々に染まるもの。


決まりを守らない人を組織のためと、
冷徹に裁くようになったとき、
それは染まり切った「仕事人間」の完成のときなのかもしれない。

タイの自由に生きる犬
タイで自由に生きる犬


無駄なことを避ける

いつからだろうか。
自分の生き方の根底に居座っている
「無駄な行動はしたくない」
ということ。


成長したい、よりよい生き方がしたい


そんな止まらない欲求が心の奥底にあって、
無駄なことをしているとストレスがたまるようになっていた。


例えば、わけのわからない素人ティックトックとかYouTubeとか、
テレビでもなんかお笑い芸人がチャレンジ的なことをしているのとか。


自分の成長、よりよい生き方の枠から外れるものに
興味がわかない自分がいる。


お笑いでも、ストレス解消って目的があれば見る。
ドラマも自分が刺激を受けて、よりよい生き方につながるようなら見る。


ただ、だらだらすることが苦手なのもそれが理由。


だらだらするのは老後でいいと本気で思っている。


生きるための仕事をする必要がなくなれば、
だらだらしても全く問題ないだろうし。


でも、自分の性格からして
きっと何かしているんだろうな・・・(;^_^A

クイッティアオを買う自分。
クイッティアオを買う自分


2026年9月19日土曜日

理想の仕事とは

 今の仕事は面白いところは多々あるんだけど、

人の下で働く、価値観の違う人間と働くと

やりたくないこと、自分の本意ではないことをしなければならないのが・・・。


だだった子のように言っているわけではなくて、

凝り固まった頭の固い人と働かなければならないことがある。


そんなことどうでもいいじゃん。

ってことにこだわり、

他人を苦しめ続ける人も。


タイで自営をしていたときは、かなり自由だった。

自分がやりたいことをかなり実現できていた。


でも、改めて元鞘の仕事に戻ってみたけど、

思いで補正が働いて良く見えすぎていた部分が多く、

やはり自分が本当にやりたいことは違うんだなって思うことが増えてきた。


その仕事の価値を否定しているわけではない。

ただ、俺にはかみ合っていないという思いが強くなり続けているだけ。


最近はいろいろなことが重なり、

ますます離れたいなって気持ちが強くなってきてしまった。


でも、経済的安定、有給の多さ、

仕事のやりがいはあるだけに、すぐに踏み切ろうというわけではなくて、

頭の中の占有率が増え続けているって感じ。


自分の価値観を全面に出したブランドを作ってもみたい。

また時間が経ち、考え方は変わるかもしれない。

それはそれでいい。


その時、その時の気持ち、考えを大切にして生きていたいなって思う。

MBKの祠



2026年9月13日日曜日

熱量

 仕事は超嫌いってわけじゃないけど、

休日にタイ語やブログの修正や読書をしていると

超やりたいことではないと再認識する。


特に今はタイ語熱が高まっていて、

本当は数時間もやっていたい。

今の熱量でもし勉強できるなら、数か月で相当な場所までいけるはず。


というのも昔タイに行ったときに3か月で会話ができるようになったし、

それからしばらくしてタイ語で夢を見ていたくらいだから。


熱量が高まったときの過去の自分は止まらず勉強していたな。


でも、今は仕事があるからすべての時間をタイ語にベットできないから、

なんか煮え切らない状態で止まってしまう。


すごいところに行けそうなんだけどな・・・

はがゆいけど、仕事に時間を使うのは仕方がない。

はがゆい。

2026年9月12日土曜日

人生で初めてのキレた経験

昨日は自分を抑制できるレベルではあるけど、
初めてのレベルでキレた。

自分はここまで他人に対して怒ることができるのか、
しかも公衆の面前で。
しかも良く行く場所で。

昔から父親が感情的にキレるタイプで、
そういう人が苦手だった。

自分はそうはなりたくないと思って生きてきたけど、
自分の中にも親父の血は流れていると改めて自覚。


言語が通じない人、それは言葉が拙いという意味ではなく、
自分とは扱う言語の背景の価値観が違って、
共有することができない人がいる。



育ってきた環境、生きて来た環境が違い過ぎて、
相手が下とか悪いとかそういう意味ではなく、
とにかく世界観、価値観が違う人がいる。


そういうことは人付き合いをしていると、
徐々にわかるというか、確信してくるもので、
それがわかれば、
今までの自分は自然と距離をとり、穏やかな環境を守ってきた。


穏やかに生きていたいから。


でも、昨夜はそうはいかない状況になった。
あまりの価値観のずれ、それがわかり距離をとりたいのに
距離をとれない状況。
とらせてもらえない状況。


最終的に精神的に追いつめらるようにキレてしまった。


感情の起伏が激しい人が苦手で、
我を見失う人は軽蔑すらする。


それにも関わらず、
自分が同じレベルの行為を選ばなければならず、
それをしているバカらしさに辟易したし、
嫌悪感すらおぼえた。


大人になれば、いろいろな人がいて、
距離をとれない状況もあることはわかる。
でも、その環境が一時的であるとわかっていればこそ
見て見ないふりをすることもできるし、
違う価値観の人間だからなと諦め、何事もないように接することもできる。


が、一生となれば話は違う。
ホアヒンの海の写真


一夜明け、タイにいたころの写真を見返していた。
自分は大切な人、事をほったらかし、
いったい何やってんだ・・・と激しい虚無感、罪悪感に襲われる。
体も心も痛めば、息苦しい。


自分は生涯、穏やかに暮らしたい。
一生の心の平安。
それが自分の人生の夢だ。


2026年9月5日土曜日

人生は映画という使い古された言葉は真実

人生はマラソンの様なもの。

人生は映画の様なもの。


そんな言葉は本だったかテレビだったか忘れたけど

何回も聞いたことがある。


自分はどちらかというと

人生は映画のようなものって言葉がしっくりくる。


今の年齢になって周囲を見渡すと、

人間ってそう変わらないんだなって思う。


価値観、考え方というか人間性というか。


それって映画みたいなものなのかなとも思う。


映画を観ていて、登場人物の性格を直せって叫んでも変わるわけがないし、

そんなストーリーはつまらない!って叫んでも変わるわけがない。


嫌なら映画館から出ればいい。


人生ってそんなものなのかなっていう気もする。


知人が仕事が嫌だという。

仕事の嫌な部分をあげ、嫌な先輩について考え、

日々、消耗しているように見える。


その仕事を選んだのも自分。

その仕事に留まっているのも自分。

嫌ならやめて離れたらいいのに。


実際、そんな簡単なものじゃないのかもしれない。


当事者は、離れられない理由をたくさんもっているだろう。


でも理由を何個もあげようとも、その理由すら、映画の一部のような。

脚本?演出?


気に入らないなら映画館から出たらいい。

そして、自分が気に入る脚本、出演者がいる映画を観ればいい。


もしかしたら、その映画は自分が創っていたりして?

今かきながらふとそう思ったけど、

もしかしたら、人生ってのは、自分出演、脚本、監督の映画なのかも^^;


そして、自分で創った映画に自分で文句を言って苦しんでいる人が

かなり多くいるような。


自分の人生を振り返ると、本当にいろいろな映画を観てきたな。


日本からタイに行くなんて考えてもみなかった脚本。

でも、確かに自分で描いた脚本で、自分で出演して頑張った。


嫌な人にもたくさん出会ったけど、

自然と離れるという選択をしていた。


だから何だってことは無いけど、

ふと思ったので忘れないうちに書いておこうと。忘備録的に。

ドンムアン空港の写真

人生の大きな決断をした想い出の場所。タイのドンムアン空港。


海外で生きると決意し、小さなラジカセと着替え、本を入れたスポーツバック1つで降り立った。


ラジカセは寂しさ予防w


当時は今みたいなスマホもWi-Fiも無いから、

地球の歩き方だけを頼りに、何となくの方向に進み、

たどたどしく両替をしたところからスタート。


懐かしい想い出が頭の中には今も詰まっています。

タイのビザラン禁止について

「正当な理由なく査証免除によるビザランを2回超繰り返す外国人は、
空港でも陸路でも入国拒否の対象にする」

2025年11月にタイ入管が2025年11月にタイ入管から明示されたらしい。


これはけっこうダメージ受ける人が多そう。


自分も昔、タイの底辺あたりで生活していたことがあって、

そのころは、ビザランをやっている人とも多々出会った。


ビザランと言ってもいろいろあり、

本人が直接カンボジアに出国して再入国するってパターンと、

パスポートだけ業者に預けて、パスポートのみ出入国スタンプを押してもらう

というパターン。。


自分は底辺で生きていた時代、

そういうことをやっていた会社の社長と一緒にご飯行くくらい仲良くしていました。

表向きというかゴルフ斡旋の会社でしたが、

ビザ代行やビザランもしていて、けっこう儲かっていました。


いずれにせよ、そうやってタイで生息している人は多くいました。

自分は・・・もう過去は忘れました。ということで。


ただ、自称ノマドワーカーとか、ビザが降りない業種の日本人はキツイでしょうね。


たまたまタイの日本大使館から来たメールを読みながら

懐かしい昔の記憶が蘇ってきました。

タイのローカルバスの風景
そんな時代の通勤風景です。


2026年9月4日金曜日

パソコンの買い替え時って難しい

 今使っているノートPCはタイに住んでいたころに買ったもので、

もうかれこれ何年使っているんだろう。。。

ノートパソコンの買い時に迷う画像


愛着沸いてるけど重くてストレス。


ただ、なまじっか力はあるから、手提げに入れても、

軽い筋トレかなって思えば何とか自分を騙してストレスに耐えることもできる。


バッテリーも劣化しているんだけど、

それでも朝から昼過ぎまではフル活用でもギリもつ。


なんて考えていると買い替え時って迷うのが貧乏性だからか?

良く言えば倹約家とプラスに考えるとすぐ買う気も陰に隠れてしまう。


PCって新しいの買うと全く同じように使える作業環境にするのにも

なんだか面倒な気がして及び腰になる。


壊れてくれたら買うんだけど、壊れてからでは遅いし、

まだバッテリーの劣化以外は元気なのもまた迷いを生む。。。


あ、ACアダプターがタイ使用だから、日本の二つ穴のコンセントに入らないのは

かなり面倒でもあるけど、それもすでにクリア済なのも迷う。。。


なんて考えている時間が勿体ないから買えばスッキリするのに

って思いもある。


買おうか買うまいか。


みんなはノートPCを買い替えるときはどうしているんだろう?

やっぱ迷って迷って買うのかな?


新しいものが良いけど、古くても使えている状況。

お金はあるけど、散財するような気分。


悩ましい。


なんて考えている時間、違うことができると思えば

買った方が良い気もする。


いつ買ったのか?と写真を検索してみたけど、

今使っているPCの初登場は2021年だった。

買って5年くらいかな?

これって買い時なのだろうか?


悩ましい。