2019年12月26日木曜日

迷走するブログ


正直このブログを書いていて迷うことがあります。


何を書こうかな・・・


もともと雑記ブログというか、
日記のように自分の生活を記しておこうと思って始めたブログ。


書いているうちに、
海外生活したい人の参考になればという思いがわきましたが、
ずっとわいているわけでもなく。
まぁ、いいやと適当な内容に戻り・・・


で、生活のことをまた書いていて、
でも、生活のことを書くのにいちいち家族の写真以外に
また家族が写っていない写真をブログ用に撮り直す煩わしさ。


ふと、日々考えている教訓めいたことでも書いておこうと思ったら、
変にそれにしばられ始め、(誰もしばっていないのに)
面倒になり・・・。


とにかく迷走しています。


いつもわざわざ読みに来てくださる方はいらっしゃるようで、
カウンターの数値だけは見ながら、
こんなブログ読みにきていただけるなんて
ありがたいものだと思っております。


感謝。感激。雨。あられ。


ふと思いつきましたが、
雨、あられってなんでだろう??



そんなことを書きながら
今思いつきました。


このブログは寝る前に自分の一日を振り返りながら
考えたことを書いていこうかな・・・と。


また変わるかもしれませんが(^^;


毎日、携帯で音楽を聴きながら移動していたりもして、
写真が撮れないかもしれませんが、
できるだけ1日のバンコクの写真を撮っておいて、
このブログにアップしながら、
1日を思い出しながら何かしらの思いを残しておこうかな・・・


いつか自分が亡くなったとき、
家族が見て、こんなことを考えていたのかぁと
わかるように。


でも、家族の愚痴のようなプライベートなことは書けないしな(苦笑


とりあえずは、そんな感じでやっていこうかな
と軽く考えています。

とりあえず、毎日行くTOPSの総菜売り場の写真でも。


何かご意見があればコメント欄でお聞かせください。


ではでは、おやすみなさい☆

2019年12月23日月曜日

バンコクで危険なのは場所ではなく人間

大使館からのメール連絡がありました。


12月21日(土)午前1時30分ころ,
首都バンコクの邦人が多く居住する地域におきまして,
(Twitter上での被害者の奥さんの情報だとエカマイのソイだそうです。)
邦人男性が一人で徒歩により帰宅途中,バイクに乗った二人組の犯人に,
身体を数箇所刃物で刺された上,財布を強奪されるなどの被害に遭いました。



私はタイに10年以上住んでいます。


最初のころは、ローカル色が濃い
日本人の居住区ではないところの奥まったソイでした。
月4500Bの家賃で一人暮らし。


同じアパートには夜のお仕事をされる女性やら、
その付き添い男性やら、お坊さんやら、
色々な人種が住んでいて、混とんとしていたことを思い出します。


入れ墨をした若い人たちと
アパートの前でビールを飲みながら談笑していたりもしていました。


どっぷりそのようなところで暮らしていていると
自然と危険察知能力が高まるようで、
あそこらへんは危ないな・・・とか、
あの人は危険かな・・・とある程度は判断することができました。


そして、今、そのような場所から離れ、
安全と言われる地域で暮らしています。




それでも昔の察知能力はなくならないようで、
街なかを歩いていても、バイクに乗っていても、
この人危ないな・・・と感じることは多々あります。


日本人が多く住んでいる普通の通りで
これは危険だな・・・という人を見かけることがあります。


バンコクは発展してきて、
一見、どこもかしこも明るく綺麗になってきて
危険が少なくなっているように見えます。


でも、私が10年以上住んでいて感じることは、
バンコクの発展により、
光が当たらない場所が減っただけで、
それらの場所で生きていた悪い心をもった人は
決して消えていないということ。



それらの人は日の光の明るさに紛れて普通に暮らしています。


暗い路地でうごめいてくれていたときは、
この場所と特定できただけにまだわかりやすかったでしょう。


でも、今はみなさんの生活の近くに紛れています。
決していなくなったわけではない
ということを忘れてはいけないと思います。
脅しではなくて事実です。


危険なのは場所じゃないんです。
人なんです。


そのことを忘れずに異国であるバンコクで過ごすことが
私たち外国人に大切な心構えかなって思います。


ここ数日、急にそれらのツイートが増えていますが、
在タイが長い我々は昔から町は変われど人は変わっていない
ということを承知して暮らしています。


危険なのは人です。

2019年12月19日木曜日

人の中身が空っぽでいい

中身が空っぽでいいんじゃないかな。



今日は、バンコク日本人学校の元同僚であった
タイ語の先生と再会ました。


こちらの記事が良かったということで、
ご自身の大学で日本語を学ぶ生徒さんに教材として
出していただいたようです。光栄至極。


そして会話の中でふと
「私はまだ空っぽ」ということを
ご謙遜でおっしゃっていましたが、
私はそれを聞いて、素敵なことだなと感じました。


人って空っぽの方が良いんじゃないかな・・・
最近特にそう思っています。


空っぽだからこそ、
本当の自分がわかる気がするんです。


親だったり、教師だったり、夫だったり、
〇〇だったり・・・


と役割が多くなって、
考えることが多くなればなるほど、
なんか本当の自分から離れていってしまっているような
気がします。


本当の自分なんてあるのかすらわかりませんが(^^;


でも、空っぽの状態で、自分が何を感じ、
何を思うのか、
それこそが大切なことなんじゃないかなって思うんです。


午前中に空に見えた月です。


月や星を見てきれいだなぁと思っているとき、
空っぽだし、心地よい気がします。


田舎でそんな生活ができたらなとも思いますが、
今はまだまだ年齢的にも仕事的にも
そんな時期ではありません。


しばらくはバンコクで頑張ろうと思っています。



空っぽでいいんじゃないかな。


そんなことを考えた1日でした。

2019年12月17日火曜日

老いるということは成長するということ


老いるということは成長することだ。


最近、ふとそんなことを考えます。


息子に私が手取り足取り教えていた卓球。


気が付けば息子も中学1年生に。


そして、勝負はギリギリ私の勝ちというレベルまで
実力を上げてくれました。



最初に書いた
「老いることは成長すること」の意味はここにあります。



地球全体で言えば、
エネルギー保存の法則が働いていますよね。


エネルギーの総量は一定。



ここにある熱いコーヒーが冷める。

しかし熱のエネルギーは大気に移動しただけで、
消滅したわけではない。
必ずエネルギーは形をかえて総量は一定。



私が老いるということは、
だんだんと失われるパワーは、
他者のパワーとなるわけです。


実際は、肉体的に滅んでいるわけではないので、
エネルギー保存ではないんですが、
イメージの世界です(^^;



私がもっている知識、技術、経験などを
どんどん息子に受け継いでもらい、
そのことをもとにして、
自分色の何かを付けくわえていき、
成長していく。


そうやって親子の間で、
エネルギー保存の法則が働いていきます。



私はしっかり引き渡せているだろうか?


引き渡せるほどの何かをもっているのだろうか?


まだまだ引き渡すべきものを磨き続けて、
息子がもういらないという時期までには
良いものをプレゼントできたらなと思います。