人間は考える葦である。
という言葉がここまで語り継がれているということは
考えることは良いことだということなんだろう。
でも、最近、考えることは本当に良いことなのか?
って思うこともある。
ちょっとしたことが不安になれば、
その不安を解決したくなるのが人間の性。
だから原因をどうしても知りたくなるし、
不安を解決したくなる。
それによって、小さな不安を自分でどんどん大きくする
なんてことがある。
AIが人間を滅ぼすなんてことがネットでにぎわえば、
それを流せる人もいれば、
不安になる人もいる。
不安になる人はその不安の原因を探そうとやっきになる。
確かにAIが進化し続けると・・・
とか、自分は監視されているのでは・・・
とか、どんどん不安を裏付ける要素ばかりを探しもとめる。
その結果、その不安が正解か否かは関係なく、
不安にやられてネットから離れた生活をしようという結論を出すかもしれない。
すると、AIの不安なんて考えずにバリバリ使う人と、
不安から離れた人で、人生の豊かさが大きく変わってしまうかもしれない。
人間は必ず命尽きる。
その当たり前のことを不安に思えば、
原因を探し続け、生まれた意味は?とか、
どうせ命尽きるなら何もしたくないと無気力になる人もいるかも。
別に当たり前だと流せる人は、
今この瞬間を楽しんで生きることができ、
不安に思う人は、今この瞬間も不安ばかりが頭をしめて
生きることになる。
どっちが幸せかはいうまでもなく。
考えすぎることで不幸になるなら、
いっそうのこと考えなきゃいい。
そう思うけど、人間は考える葦であり。
考えることが人間の性。
だから今日も考え続け、余計な不安に襲われながら
それを承知の上で生きるしかないのかもしれない。
でも、自分はけっこうあきらめているところが。
どうしようもないことは、どうしようもないよねって。
だから、そこまで深く悩まなくなってきたような気がします。
年齢を重ねた年の功ってやつなのか。
不安と共に生きるのか。
あきらめて生きるのか。
正解はないけど、自分はあきらめて生きようかなって
今のところは考えています。
ということも考えすぎなのかも(^^;
▲バンセンの海

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