2019年11月18日月曜日

バンコクでレジ袋が禁止は本当にエコ??



2020年からバンコクの多くのお店で
ビニール袋が禁止になります。
早いところでは2019年の12月から。
遅くても2021年にはビニール袋を廃止にするという
法案が可決したとかしないとか。


いずれにせよ、
遅かれ早かれエコバックを持って買い物をしなければならなくなります。


とてもエコに見える良い政策に見えます。


でも、我が家では困ったことが起こるのです。
きっと多くの家庭でも同じような状況ではないでしょうか?



我が家では、大小ともにビニール袋はゴミ箱の内側にカバーし、
そのままゴミ袋として活用しています。


コンドミニアムでゴミはゴミ袋に入れて出さなければならない
というきまりがあるからです。


なので、このお店からもらえていたゴミ袋が禁止になると、
ゴミ袋がなくて困ることになります。


ということは、結局お店でゴミ袋を購入することになることは避けられないです。


お店からもらっていたビニール袋を自腹で購入するという形に変わっただけ。


ゴミを減らすために無駄な廃棄物を出さないようになる
というメリットがあるのかもしれませんが、
日頃からそこまでゴミに無頓着な生活はしていませんし、
そこまでビニール袋が高いものではないので、
きっといつも通りの生活パターンは変わらないと思います。



エコなのかと問われたら、
使用するビニールの総量はそう変わっていないでしょうね。


店で買うゴミ用のビニール袋は素材的に薄いので多少はエコかな?
でも、そのゴミ袋もビニールで梱包されているという事実・・・


エコエコ言ってますが、
どうもこのビニール袋禁止は
本質とは遠い気がしています。


では、なぜこんなことをするのか。


お店からしたら、ビニール袋が無くなって
今まで負担していた袋にかかるコストが減ります。
得することはあっても困ることはないですよね。


国からしても良いことをしている
イメージを世界にアピールできますよね。


国と経済界の利益が一致しているのかな
って気がします。


みなさんはどう思います??

2019年11月17日日曜日

殺伐としたニュースが多いときは・・・


最近、殺伐としたニュースが多く目に飛び込んできます。



心理学的によく言われるのは
自分の意識が向いているような情報が
目に飛び込んでくるということ。



だとしたら、自分の意識がマイナスに向いているのか?
と思ってしまいそうになりますが、
どうもそうではなく、事実としてマイナスニュースは多いです。



自分の意識からという面もあるんですが、
こう殺伐としたニュースが多いと、
外から内に向けてマイナスが入り込んでくる気がしてしまいます。



だから、殺伐としたニュースがネットで飛び込んできたときは
意識的に読まないようにしています。



沢尻エリカさんの名言
「別に」
じゃないですが(^^;



そんなときは、読まないようにするだけでなく、
自分が無条件に楽しかった青春のころの
好きな曲を聴くようにしています。


私にとってはチャゲアスですね。



みなさんにとって青春の曲って何ですか?


殺伐なニュースが多いときは、
何回も同じニュースが流れるので意識的にシャットダウンして
好きな曲でも聞いてくださいね。


自分とはそんに関係ないマイナスなニュースは
忘れてしまいましょう!

2019年11月15日金曜日

問題の先送りは再び同じ問題に直面する




人の前に問題が起きれば、
その問題をやっかいなものだと捉えますよね。



確かにやっかいなんですが、
考えようによっては「その問題のおかげ」で
新しいことに気づけるというプラスの面があるんですよね。



ただ、人は長年自分が行ってきた考え方の習慣のようなものがあって、
問題に直面しても先送りにしてしまうことが多々あるのかなと。


過去の習慣の延長線上で生きた方がらくだから。



例えば、自分の例で言えば、
「タイで住んでみたい」
という思いがわいてきたとしますよね。



その気持ちは、ある意味日常生活からしてみたら、
刺激の強すぎる問題ともいえます。



でも、忙しい毎日に追われるように
そのことから意識が薄らいでいき、
再びいつもの日常に戻っていきます。



それでも人生は過ぎていくんで、
自分が50歳、60歳になったとします。


ふと仕事の忙しさがひと段落したとき、
再び同じ問題が浮上してくるはずです。
「タイで暮らしたいな」と。



ただ、そのときはすでに人生の残り時間も少なくなってしまっています。
遅すぎるというわけではありませんが、
そのことに気づいている自分は
その事実を「後悔」と捉えてしまうかも。



その「後悔」を昇華できるならいいんですが、
多くの人はそんなことは難しく、
「後悔」は残るでしょうね。



「なぜあの時決断しなかったんだろう・・・」

それが本音になると思うんです。


自分の前にやってきた問題から目を逸らして、
見て見ないふりをしていても
問題そのものは決してなくなっていなくて、
人生のいつの日かで、必ず再び直面しなければならない時が
やってくるんだと思います。


先送りして、問題が消えたように見えても、
足元の後ろに影のようについてくるもの。


だからこそ、
問題に対して正面から取り組んでみることが
問題がこじれて面倒かもしれないけど、
一番の王道なのかなと
わが人生を振り返って思います。



一つだけ追記で。


別に先送りにしたことが悪いことだと断罪しているわけではありません。
それも人生だと思います。


ただ、読みながらもし責められているようなマイナスの感じ、
自分の今を無理やり肯定したくなるようなを感じを受けた人がいるなら
この内容そのものがマイナスなわけではなく、
マイナスに捉える自分の内側を見て、
本音を考えた方が良いのかなとは思います。


もちろん、考えない自由もありです。

2019年11月14日木曜日

「苦労は買ってでもしろ」の落とし穴



苦労は買ってでもしろ。


そんなこと聞いたことがありますよね?
言われたことがある人もいるかもしれません。



私も何回も聞いたことがある言葉で、
これは正しいと思っていました。


思い込んでいました。



確かに苦労をすると、
色々と悩むことも増え、
考えることも増え、
それに伴って人間的に成長するということがありますよね。


だからこそ肯定される言葉なんだと思います。



ただ、気を付けなければならないことも
裏側に隠れている気がします。


その苦労、本当に必要ですか??


ということです。


他人のコントロール、支配によって与えられた苦労は
本当は必要ではないのではないか?
という疑問をもたないと、
自分の1回きりの人生はあっという間に終わってしまいます。



例えば、簡単な例で言うと、
コンビニの店員だったとしますよね。


4人でのシフトが当たり前なのに、
オーナーが搾取したいがために
シフトを3人にしていたとしますよね。


でも、オーナーは3人で回していることに対して
大いに褒めてくれ、
その3人はやりがいを感じているかもしれません。



それでもいいんですけど、
その3人は一回考えてみることも必要なのかな。


本当にこの苦労って正当な苦労なの?と。



学校現場はなかなかきつかったです。


なぜかというと、最後の最後の一言が
「子供のため」ですから。


この一言は重い。そして時にズルい。


管理職から水戸黄門の印籠のようにこの言葉が出れば、
非効率な苦労も免罪符が打たれてしまいます。


苦労の美徳が頭にこびりついているから、
理不尽な苦労がきても素直に従ってしまう
言い方が悪いですが奴隷マインドができあがっている自分が
いるのかもしれません。



そのことに気づくことで
人生が変わってくることがあります。


これを読んでくれていて、
何か思い当たる節がある人は人生の転換期に来ているんだと思います。


苦労は買ってでもしろ。


その考え方、間違っているかもしれませんよ。