2024年1月27日土曜日

自然と死にたい。自然と終わりたい。

 文化の中、さらに細かくみると、

今という時間で切り取られる文化の中で生きている限り、

自分の死も文化の中の今という社会の慣習で扱われてしまう可能性が高い。


自分が死ぬときは、どうかコロっといきたいものだけど、

嫌なのは、病院の中で管を付けらたり、

不自由な体を苦痛と共に扱いながら生きながらえること。


他人がそうやってい生きているのを否定しているのではなく、

自分がそうやって生きて生きたくないという個人的な価値観なだけです。


自分は延命してほしくないです。

社会の中で生きてはいますが、

ここだけは、社会の一般的な価値観で、

治療=善

ということではなくて、

個人の価値観で最後くらいはコントロールさせてほしい。


そんなことを時々思ったりもします。


別にいつもこんな重苦しいことを考えているわけではないです^^;


ただ、死ぬときは、自然に、人間の自然な形で死にたいなって

そう思うのです。


葬式もいらないです。

誰か知らない人にお経を読んでもらいたくもないし、

みんなに堅苦しい場所で座ってもらいたくもないし、

堅苦しい服装で自分の前に座ってほしくもないです。


自然と焼いてもらって、骨が粉になれば、

どこか土にまいてもらいたいです。

海でもいいかな。


できれば、ホアヒンの海にでも。


ま、死んだあとなので、どこでもいいですし、

どうやってもらっても構わないです^^;


そんなことをふと考えていました。

ではでは。

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