2019年6月13日木曜日

生きる意味は何か?

生きることなんて摩訶不思議。


摩訶不思議ですが、
考えようによってはシンプルでもあります。


生まれて死ぬ。
命のバトンを次世代に渡す。



シンプルですよね。



でも、人間って、自分も含めて頭が発達して
色々と考えることができるから、
それだけでは心もとないです。


そんなシンプルではさすがに虚しさが・・・


そこで色々な意味を付け加えていこうという
考えになっているわけですよね。


生きるとは・・・


人生とは・・・


でも、それを自分で考えるとなると、
白紙で絵を描くようなものです。



学校でも、
「絵を描いてごらん」
より、
「男の子の絵を描いてごらん」
の方が簡単です。

さらに、
「砂場で遊ぶ男の子の絵を描いてごらん」
と、場面を限定されればされるほど、
絵は描きやすくなります。



だから、人生も同じで、
全くゼロベースで考えるとなると途方に暮れてしまいそうです。



だから、人は宗教が必要になってきているのかな
って気がします。


とりあえず、自分で白紙で考えるより、
権威ある方が言ったことを受け入れる方が
ストレスが少なくてすむような。


この傾向って教育によっても培われているような気がします。



答えがあることばかりを教わってきたから、
人生レベルの答えが無い問いに耐えられないんだと。



どうしても、生きる意味、人生の答えが知りたい。


なんで生まれてきたのか。
何か意味があるはずだと。


答えを求める心が宗教を必要としているのかな。



では、自分は無宗教なわけですけど、
なんで無宗教なのか。。。



自分で考えたいタイプの人なのかな。
人が考えたことよりも自分で考えることが
好きなのかもしれません。
頑固です。


でも、自信満々なわけでもないですし、
白紙の上で考えるのは疲れるし、
できるならミスもしたくないから、
自分よりすごい!と思える人がいたら
頼ってしまう自分もいます。


でも、その「すごい」の規準は
けっこう自分の判断なので
正確だって思っていて、
頼ろうと思えるほどの人に出会えば、
圧倒的に好きになってしまいます。



今、数少ない友達もこの傾向が強くて、
圧倒的に好きって人が残っています。
あとは同志だと思える人かな。


それ以外は権威あると他人が言おうが、
けっこう否定的に構えてしまう自分がいます。



人は答えを知りたがる生き物。
無秩序より秩序が好きな生き物。


生きる意味は何か?


それは自分で考えて創っていけばいいのかな。


今、考えていることは、
自分が存在する前と後で、
少しだけ世界をよりよくするため?
とも考えています。

シンプルです・・・(^^;


また変わるかもしれませんが。

自分の唾って飲める?

自分の唾って飲める?


人間の意識って面白いなって思うのが、
自分の唾についてこう考えたときです。


今、みなさんが口の中にある唾って普通に飲んでいますよね。
別に嫌でもないはずです。



で、やらなくていいですけど、
コップの中にその唾を入れてください。



そのあと、そのコップの中の自分の唾を飲めますか?
というと、嫌じゃないですか?



自分は嫌ですね。
飲みたくないです(^-^;



でも、そもそも口の中には今も唾ありますよね。
今も飲んでいますよね?
そういわれると嫌かもしれませんが・・・
事実です。



外気に触れた唾が飲みたくないのか?
と言えば、口をあけっぱなしにして
外気に触れた唾でも、口の中にあれば
飲めますよね。


人間って自分の体からいったん出てしまったものって、
自分ではないって判断してしまうみたいです。


そこが面白いなぁ・・・
なんて考えていました。



何でだろう。



唾ってそもそも論で汚いものだって考えていたんでしょうね。


だから唾をかけられると嫌ですし、
子供の喧嘩で唾をかけあうんでしょうね。
相手が喜んでいたら唾をかけないでしょうし。
そんな喜ぶ大人がいるみたいですが・・・



でも、普通は唾って汚いって考えているけど、
こと自分のことになると特別視、盛ってみるんでしょうね。
清潔感を盛ってみるというか。



自分の中にあるんだから、
健康的だし、衛生的だし、消化を助けるし、
虫歯菌の増殖を防ぐし・・・
とかプラスのイメージをたくさん盛ってみている。



が、いったん自分の外に行くと、
冷静な思考になる。



あっ、汚な・・・



だから、もう元にはもどせないという理屈なんでしょう。



悪口で楽しんでいたグループがあって、
やっていることは悪いことだとわかっているのに、
他人のゴシップで楽しんでいるとします。


でその中から脱退する人が出ると、
あれほど仲良く話していたのに、
ゴシップネタにされてしまうということも、
外に出した唾理論ですかね。


そんな理論ないでしょうけど(^^;


ただ、一人でこんなことを考えていて、
面白いなぁ「ふふふ」と思っているのも寂しいので、
1人でも「わかるわかる。確かにね!」
と思ってもらえたら、これ幸いです(^-^

2019年6月12日水曜日

タイの理不尽な渋滞がタイ人気質を作る

タイで暮らしていると、
全く意味不明な渋滞に出くわします。



イライラするけど、
どうしようもない。


信号無視をする車のせいで、
渋滞が発生しています。


クラクションを鳴らす人はいるけど、
結局、待つしかない。


ここタイで余計なトラブルを起こせば、
命のやり取りになることがありますからね。
触らぬ神に・・・ってやつです。


こうやってタイで暮らしていて見えてくるのは、
理不尽なことに対して諦めなければならない状況が多すぎるということ。


この理不尽なことに対して諦めるという習慣が
タイ国民の人格に与える影響は大きくて、
徐々に無気力な国民が増えていくのかなって気がしています。


洪水もそう。
仕方がないね。マイペンライ。
で終わり。毎年・・・


そんなことを考えていたら、
学校現場でも似たようなことが言えるなぁなんて考えが生まれてきました。


理不尽だろうが、なかろうが、
ルールなんだから強制的に黙って従え!
という訓練をしていくと、
子どもたちは要領よく諦める力を高めていくのかな。


自分が子供のころにあったことですが、
「シャーペンは禁止」って先生から言われて
「なぜ?」
なんて聞いても、
「ダメなものはダメなんだ。」
とキレ気味に言われた記憶が・・・


考えたら負け。


そんな標語が生まれてきそうです^^;


子どもたちが理不尽さに対して無力感をおぼえてあきらめる
という思考パターンに陥らないように
ルールなどを教えるときは、
「なぜ?」もセットで教えるということが大切ですね。


ルールを教えるときだけでなくて、
叱るときも同じ。


「なぜ?」を考えないで生きる癖をつけてしまうと、
思考停止の無気力な大人になってしまう可能性が高まる。


これからの社会で生きるためには、
ロボットとは違う能力を伸ばしていく必要があるって言われていますよね。


その1つが考える力です。
考える、知的な労働もAIに奪われる時が来ると言われていますが(;^_^A


いずれ人工知能搭載のロボットに奪われてしまう日が来るかもしれませんが、
当面のところは、創意工夫ができる人間の思考力は重宝されるはず。


その思考力を高めるためには、
思考停止で物事に従順に行動できる姿勢ではないはずです。



バンコク日本人学校の下校が午後9時半になるほどのバンコクの渋滞。


でも、このバンコクの理不尽な渋滞ばかりは諦めるしかありませんね。


残念ですがどうあがいても私たち外国人には無理。
タイ国民に頑張ってもらうしかないです。


10年前から変わらないんで、
もうとっくに諦めてしまっているかもしれませんが・・・

2019年6月11日火曜日

今、夢が見つかっていない人へ。



喫茶店でふとこんなことを考えていて、
忘れないようにTwitterにメモしました。


夢。


自分の人生の中でとても大切にしてきた言葉です。



夢を見つけることは人生に生きがいをプラスしてくれ、
エネルギーの源になる大切なことだって思います。



ただ、今の社会で生きていれば、
どうしても大きな流れに飲み込まれ、
自分の夢をすぐには見つけられない人も出てくるものです。


もちろん、夢を見つける努力をし続けないと
見つけられませんが、
その努力をする時間すらないほどの流れに
巻き込まれるように生活している人もいます。



もし、夢をなかなか見つけられない人がいるなら、
とりあえずは、目の前のことに真摯に向き合い、
愚直な姿勢で努力を積み重ねる。



その過程で磨いた自分は必ず違う景色を見ることができ、
その時に考えた夢は、
成長する以前に考えた夢とは
(実際には考えることができなかったとしても)
全く違うものになっている可能性があります。



自分が愚直に頑張った努力は決して無駄ではなく、
自分を成長させてくれている。



その成長した自分がもつ夢はきっと
もっと素敵な夢になっているはずだし、
その夢をもてたとき、
成長していた自分はきっと役に立つはずなんです。

愚直に味を積み重ねてきたクイッティアオ屋台のおじさん。


最高の味です。