2025年8月13日水曜日

愛する人を失う絶望──収容所解放後に訪れる本当の喪失感

暗がりの中、柔らかな光に照らされ横を向く男性のシルエットと、「愛する人を失う絶望 収容所解放後に訪れる本当の喪失感」という日本語タイトルが描かれたイラスト。


ナチス強制収容所の人々が、

絶望的な環境の中で、精神的にも絶望的な状態で、

わずかに見える希望の光、

それは愛する人に再び出会えること

それを思うとき、ふと絶望的な気持ちは軽くなる。


でも、その愛する人はもう存在しないかもしれない

もしくは、収容所を自分が生きて出ることができないかもしれない。


愛する人に再会することは不可能だろうと苦しみもがき、

再び絶望的な気持ちになる。

収容所で永遠に続く可能様な地獄の日々。


でも、ある日、彼は収容所から解放される。


さぞ幸せだろう。


あなたもそう思ったはず。


しかし、彼は失意のどん底に落ち、

収容所での生活の方がましだったと思う。


いったいどういうことか。


彼が家に帰ったとき、

愛する人がすでにこの世にはいない事実を知ったからだ。


彼が経験する絶望は計り知れない。

愛する人と再会できるかも・・・というわずかな光を

絶望の中でも見ていた日々の方が幸せだったと思うほどの虚無感。


今より収容所の方が幸せだったと思う。

私たちが想像もできないほどの絶望感でしょう。

愛しい人と完全に別れ、二度と会えないことが確定する絶望感。


それに比べたら、あらゆることがましに思える。


愛する人と一緒になれることを

絶望的な環境、精神状態の中で、夢見る日々。



一緒になれないかもしれない可能性の高さに

胸を掻きむしりながらも夢見る日々の方が、

絶対になれないと確定した日々よりも幸せだという現実。



強制収容所とは収容所の中だけではなく、

自由になったと思われる身になっても、

そのような絶望感に苦しみ続ける人々がいた場所。


二度と歴史は繰り返してはいけないけど、

今もなお、とある国では、そのようなことが行われているとの

噂も聞いたことがあります。


人類に本当の平和が来る日を願ってやみません。

が、まず自分達にできることを小さなことから


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