2025年8月12日火曜日

運命に導かれた人生──思考を手放し、心の声に従う生き方

オレンジ色の夕日へ続く曲がりくねった道を歩くスーツ姿の男性と、「運命に導かれた人生 思考を手放し、心の声に従う生き方」という日本語タイトルが描かれたイラスト。


自分の人生を振り返ると「運命」というものが
ぼやっと見えてくることがある。

ただ、今も「運命」の途中であり、
自分の人生が良かったのか、悪かったのかは
まだわからない。


では、いつわかるのか・・・


それは「死ぬ瞬間」かなって思う。


今、自分が経験している今現在のことも
もちろん「運命」の途中。


時々自分の過去を振り返ることがある。


頭でいろいろ考えて不安だったことは多々あった。


タイで生きることを決断したことも1つ。


頭の考えを最優先して生きていたら、
公務員を退職して海外に1人で
全財産15万円で飛び出すことはしていなかっただろう。


未来ばかりを考えていれば、
くて、不安で行動はできなかったはず。


でも、今の心に従ってタイに行ったからこそ、
タイで教師になることができた。


タイで教師になることができたからこそ、
今、日本でお世話になっていた方の
今の学校で教師になることができた。

全ての出来事が「運命」で導かれるように
「今この時点」に続いていた。

少しでもズレていたら、
今、この職場にはいなかっただろう。
出逢う人も変わっていたことだろう。


今までなこともたくさんあったし、
しいこともたくさんあった。


でも、今、この職場で働くことができ、
今、幸せをつかんでいるなら、
きっとそのために苦しみがあったのだろう。
そう思える今がある。


心に従って生きる。


人生そう簡単ではない。
そのような思いを生み、
実際に人生を複雑にしているのは思考のなせる業


思考があるからシンプルな人生は複雑になり、
複雑になるからしみが生まれる。


わかったような口を叩くほど生きてはいないけど、
そんな気がします。


何が正解かは死ぬ間際になってからでないとわからない。
死ぬ間際に、ああ幸せだったなって心から思えるか。
いや、思いたい。


そういえばアンドリューという映画を見ていて考えたことがあります。


例えばの間際
自分が心から愛する人がそばにいてくれるだけでも
このために生まれて来た。
人生はもう正解だったと言えるだろう。
また、逆にそんな大切に思える人の死の間際にそばにいたいとも思う。

お互いがそう心から思える人に出会えること。
そんな人に巡り合えたとしたら、もう奇跡なようなことなんだろう。


それがどれだけ難しいことか。

難し過ぎてあり得ない。
だからこそ、
映画、小説で、歌などで
何世代も同じように夢物語として表現されてきたんだと思う。


誰かが理想を思い描きながら、
空想に描きながら、
どこかにあるはずと信じ、手に入れられず命を全うし、
また次の世代が同じようなことを表現してきたもの。
し続けてきた奇跡のようなもの


それを今、手に入れて味わうことができている人がいるのだろうか。

もしいるのだとしたら、
それがどれだけ奇跡的で幸運なことか。
その奇跡に気付いているだろうか。


表現者がたどり着けなかった、
本当にあるのだろうか・・・
と夢に描いていたその物に
今目の前で自分が実際に体験できているという人生。


その幸運、奇跡的な人生を手に入れた時点で、
輪廻転生は終わりを迎えるほどの奇跡なんじゃないかな。
命を終えるまで決して手放してはいけないほどの奇跡


あなたの周りで、1等の宝くじを当てるより難しい、
歩いていて隕石にあたるような確率、
何世も輪廻を繰り返しても出会えないような人
そのような奇跡的な出会いをした人はいますか?


さらに出会うだけではなく、
結ばれた人っていますか?


話がそれてしまいましたが、「運命」について書いていたかな^^;

運命を大切にするためには思考から離れ、
心の声を聞くこと。
心の声に従っていたら、人生は、例にあげたようなことすら
起こりうる。

一度しかない人生。
心の声こそ、後付けで生まれた
社会から与えられた、先生に教えられた、親から教えられた思考より
もっともっと大切だなって
自分の人生を振り返ると思った今日この頃でした。


ではでは。

2025年8月8日金曜日

タイで久々に思い出した日常のイライラ体験|タクシーとカフェでの出来事

しばらくタイから離れていると、

良い部分ばかり思い出していたけど、

改めてタイで過ごしていると日本にいるときより

イラっとすることが多かったことを想い出しました^^;


今日はたくさんイラがあったのですが、1つだけ。


タクシー。

タイのタクシーの車内の写真


まず、家からセントラルワールドまでタクシーで向かったのですが、

渋滞がやばく、1時間以上かかりました。


渋滞にイラとしましたが、

それはもともと諦めているので、そこまでは問題なし。


が、エアコンの効きが超悪い。

車内なのに外??と思えるくらい。


運転手に聞くと、太陽が照らしているからだと。

いやいや、エアコン壊れれるっしょ?

と言っても、太陽が照らしているからだと。


まぁ、もう仕方が無いので、我慢して乗車。


で、目的地に到着。

198Bだったので、もう200Bで。


切りが良いからお釣りあるかな?

と思って1000B渡すと、

お釣りがない!と嫌な表情。


おい・・・さすがに800Bのお釣りが無いのは仕方が無いとは思うけど、

お客にその表情は無いだろ、と軽くイラっとしつつ、

500B札を。


するとまた同じ嫌そうな表情で釣りが無いと。

さすがにイラとしました。


仕事なんだから

300Bくらいお釣りを想定して用意しとくだろ・・・

観光客多い国なんだから。


しょうがないから息子から100Bを借り、

自分の20Bを5枚渡すと無言。

ありがとうという言葉は無くてもいいけど、

客に対してその態度は無いだろ。


さすがにかなりイラっとしたので、

エアコン壊れているは、お釣り準備してないは、

悪いタクシーにあたったな

って捨て台詞を吐いて出てしまいました^^;


ターミナル21についてもイライラおさまらず。

で、アイスコーヒー買ったら、

おしゃれな木製のトレーにプラスティックの容器に入ったアイスコーヒー。


おしゃれな木製のトレー・・・

つるつるすぎ!!!


微妙に傾いただけで、倒れ、アイスコーヒーがトレーの上でこぼれる。

で、慌てて直すも、ズボンがぬれてる惨事・・・


傾けたのは自分が悪いけど、どんなつるつるのトレーだよ・・・

ってイライラが^^;


さすがにイライラがなかなか抜けなかったけど、

とある方法で自分でも驚くほどイライラがすぐ消え去ってびっくり。


実はその前にもイラっとすることがあったのですが、

もうイライラばかり書いても仕方がないのでやめますw


ではでは。

仏教と生まれ変わりを語る:動物に転生は罰?人間視点を超えた価値観

 前回、
仏教の五つのルールをタイ人と語る:盗まない・嘘・不倫・お酒…日本人視点での考察

なんて記事を書いて、次回は「生まれ変わり」について書くと言ったので

忘れないうちに書きます。

居酒屋の木製テーブルで日本人男性とタイ人ハーフの男性が笑顔で語り合い、ビールジョッキと小皿料理が置かれている。背景には半透明の猫、犬、昆虫が描かれ、生まれ変わりを象徴している水彩風イラスト。

タイと日本のハーフで仏教を学んでいる知人との飲み会での話は、

前回、仏教の五戒、5つのルールから、生まれ変わりになりました。


で、仏教の戒律を破って心が重くなると、

生まれ変わりで人間にはなれずに動物になってしまうってことを

彼は話していて、高僧のお坊さんも同じようなことを教えているらしいんです。


自分ももちろん、それは聞いたことがあるんだけど、

それには違和感があったから彼に伝えました。


そもそも、動物に生まれ変わるのってなの?

いことなの?


って。


だって、わが家にはかわいい猫ちゃんがいて、

その猫ちゃんを見ていると、すっごく幸せに見えるんです。


毎日、寝たい時に寝て、外を眺めて、気が向いたらこっちに寄ってきて。

本当に自由気まま。幸せそのものに見えます。


これが生まれ変わりとしてなの?

むしろ、幸せなことでは?


虫に生まれ変わっても、その生まれ変わった時点で

別に何も考えていないんだから、

もうせ、不幸せなんて考えないから問題ないのでは?


人間の思考のまま生まれ変わって、

その動物、虫になるなら辛くて、罰だって思うことはわかるけど、

生まれ変わって、そのものになってしまえば、

それは不幸なんて感じることは無いんじゃないかな・・・


煩悩が無い状態を悟りって言うなら、

むしろ猫は悟っている状態だし、

虫なんて悟りの境地^^;


だから、生まれ変わりの善し悪しはあくまで人間視点でのもので、

前回の記事のように、もっと低いレベルでしか物事を考えられない人のための

道徳の教科書みたいなもんじゃないかなって思うんです。


仏教を学んでいる彼も、犬を飼っているみたいで、

確かに犬に生まれ変わることは罰ではないとは同感だとのことでした。


何が罪、罪ではないか。

これはあくまで人間社会で生きているうえでの方便のようなもの。


動物も人間も上だの下だの関係無い。

みんな平等。


それを越えた価値観が存在していて、

それを味わえる人はごくまれ。

も。


人間ルール、社会通念を越えたものはたしかに存在して、

生まれ変わりがあるなら、それを味わえる人生を経験できる人は、

人生何回目なんだろう。


1回目ではなく、人間として尊い経験だろうから、

生まれ変わりの卒業から近かったりするかも。


なんてことを考えながら仏教談義で盛り上がった

飲み会でした。

2025年8月6日水曜日

仏教の五つのルールをタイ人と語る:盗まない・嘘・不倫・お酒…日本人視点での考察

 タイの知人(タイ人と日本人のハーフ)と食事をした。


で、食事の席で、彼が信じている仏教の話になった。

日本人である私は仏教か?と聞かれて、

いや、仏教ではないけど、根本には仏教的な思想があると伝えた。




で、話はいろいろあったんだけど、

印象に残ったことを少し。


まず、彼が言うには、仏教は5つの守るべきルールがあるとか。

その中に、盗まない、嘘つかない、不倫をしない、お酒を飲まない

というものがあった。あと1つなんだっけ・・・忘れた。


これを守ると死ぬときに心が軽くなって天国に行けるとか。


もちろん、自分も人に迷惑をかけることはしてはいけないとは思うけど、

素直に納得できないところもあったので、

軽く彼に伝えてみた。


まず、盗まない。


石川五右衛門という天下の大泥棒がいて、

彼は悪いお金持ちからお金を盗み、それを庶民に配って

英雄扱いされていて、日本人もそのストーリーを好んでいるからこそ

昔から今まで伝承していると。


日本人は盗むに関しては、ただ悪いというのではなく、

盗むという行為の裏側まで読み取って、善悪を決めているところがあって、

仏教的にはどうなんでしょうね?と話してみた。


さらに、嘘。


確かに嘘は悪いんだけど、

日本では嘘も方便って言葉があると。


で、自分も女性に年齢を聞かれたら、

そのままストレートに答えず、軽く嘘つくよと。

ストレートに言えば、相手は傷つくかもしれないから。


だから、仏教の5つのルールって、しゃばではなくて、

あくまで出家した人に適したルールなのかな?と伝えてみました。


あと、不倫。


これはマディソン郡の橋って素敵な映画があって、

不倫ということも社会的なルールに基づけば悪いことであるんだけど、

周囲に迷惑をかけず、お互いが真の愛を育むこともあるのでは?

そもそも一夫多妻の国もあるし、出会うタイミングがずれただけで、

後から真実の愛に巡り合うこともあるのでは?

その真実の愛に気付いた心を無視すれば、

自分の心に、相手の心にも「嘘」をつくことになるのでは?

と。


あと、お酒を飲まない。

そもそも今飲んでるし・・・^^;

お酒が悪いのではなく、お酒を飲んだあとに

自分がやる行為が悪いのであって、

お酒を飲まないと決めなくても良いのかなと。


ということで、仏教の5つのルールだけど、

しゃばではなく、お寺、出家した人のためのルール、

もしくは、心が弱い人、人生1回目の人のためのルールだと思うんだ

ということを伝え、お互い考えました。


こうやって、仏教を正式に学んでいない自分、

仏教を学んでいる知人。

意見を交流させると新たな視点が生まれて面白かったです。


ただ、仏教を正式に学んでない自分としては、

やっぱ人間って弱い生き物で、どうしても、深く物事を考えらない人がいるから、

シンプルに人間という生き物を良くするために、

5つのルールというわかりやすいものを、ずーっと昔に作ったところに、

仏教のすごさがあるのかなと思いました。


人間塞翁が馬。

何が良くて何が悪いか。

死ぬときになってみないとわからないもの。


今勝手に決めつけないで、自分の心を大切にして、

今、この瞬間を大切に生きていきたいなと思いました。


また次回も仏教問答の続きを書こうと思います。


テーマは生まれ変わり。ではでは。