2025年8月21日木曜日

タイと日本の映画館で感じた違い──国王賛歌とエンドロール文化

今回のタイで鬼滅の刃「無限城編」を観に行きました。

タイでも鬼滅の刃のブームはすさまじい勢いで、

マーブンクローンでも特設会場が出来ていました。



会場ではタイの鬼滅ファンが思い思いに写真を撮りまくっていました。



で、タイで映画を観ていると、タイと日本と違うところが見えてきます。

今回は2つだけその違いにと共に思うところを。


まず1つ目。

映画が始まる直前に国王賛歌と国王を称える映像が流れるところ。


自分が昔タイに住んでいたころはプミポン国王の映像が流れると、

映画館内の全員が起立し、国王賛歌が終わるまで直立不動。


賛歌が終わると一礼して座るという儀式がありました。

外国人である自分達もやらなければならない雰囲気で、

もちろん、起立と礼はしていました。


でも、その時は悪い気はせず、国王の業績などを見ていると

不思議と尊敬の念が沸いてくるから不思議です。


が、今は国王も息子に変わり、会場の様子も変わっています。

国王賛歌が流れても誰も起立する人はいません。

で、さらに驚くべきは、賛歌の途中に入場してくる人もいて、

そのまま止まることなく気にせず歩いて席を探しているところ。


昔ならありえませんでした。

これはいろいろな事情があって、あまり大きな声ではいませんが、

国王に対する思いに違いがあるということ。



そして、さらに違うことがあります。

それは映画が終わってエンドロールが流れるとすぐに立ち上がって帰ること。


日本ではエンドロールが終わるまで席を立つ人はいませんよね。

タイでは、むしろエンドロールを最後まで座って眺める人はほぼいないです。


これは日本とタイの大きな違いだと感じる部分です。


日本では、エンドロールの最後にミニ映像がある場合があるから待っている人も

いるかもしれませんが、ほとんどの人は、それがなかったとしても座って待つはず。


これって、本当に最後までエンドロールの作品に関わった人達の名前と

音楽を聴きたい人ばかりなのかな?

なんとなく、横並びというか、周りの雰囲気で出て行きづらくてその場に

留まっている人もいるんじゃないかな?

もしくはあまり何も考えずに、そんなもんだろうなという感じで

座っている人もいるのかな。


これって横断歩道も同じようなところがある気がします。


見通しが最高に良い道でも信号が赤だと、

信号が青になるまでその場で微動だにしない人は多いですよね。


でも、タイではありえないです。

車が来てない。それなら赤でも渡る。

というかそもそも横断歩道わたっていませんが・・・


とてもシンプルな思考です。


自分はこの横断歩道に関してはタイよりの思考です。

※信号は守ります^^;


そもそも信号の意味が独り歩きして、

全く車が来ていない場合、100%安全な横断歩道で

微動だにせずに待っているというのは道徳的というより、

思考停止かな?と感じることも。


みなさんはどう考えますか?

別にこれが正解だ!というつもりは無いので

あまり深く考え過ぎずちょっと考えてみてください。


ということで、タイと日本の映画で感じる2つの違いについて

ちょろっと考えたことを書いてみました。

ではでは。

2025年8月13日水曜日

愛する人を失う絶望──収容所解放後に訪れる本当の喪失感

暗がりの中、柔らかな光に照らされ横を向く男性のシルエットと、「愛する人を失う絶望 収容所解放後に訪れる本当の喪失感」という日本語タイトルが描かれたイラスト。


ナチス強制収容所の人々が、

絶望的な環境の中で、精神的にも絶望的な状態で、

わずかに見える希望の光、

それは愛する人に再び出会えること

それを思うとき、ふと絶望的な気持ちは軽くなる。


でも、その愛する人はもう存在しないかもしれない

もしくは、収容所を自分が生きて出ることができないかもしれない。


愛する人に再会することは不可能だろうと苦しみもがき、

再び絶望的な気持ちになる。

収容所で永遠に続く可能様な地獄の日々。


でも、ある日、彼は収容所から解放される。


さぞ幸せだろう。


あなたもそう思ったはず。


しかし、彼は失意のどん底に落ち、

収容所での生活の方がましだったと思う。


いったいどういうことか。


彼が家に帰ったとき、

愛する人がすでにこの世にはいない事実を知ったからだ。


彼が経験する絶望は計り知れない。

愛する人と再会できるかも・・・というわずかな光を

絶望の中でも見ていた日々の方が幸せだったと思うほどの虚無感。


今より収容所の方が幸せだったと思う。

私たちが想像もできないほどの絶望感でしょう。

愛しい人と完全に別れ、二度と会えないことが確定する絶望感。


それに比べたら、あらゆることがましに思える。


愛する人と一緒になれることを

絶望的な環境、精神状態の中で、夢見る日々。



一緒になれないかもしれない可能性の高さに

胸を掻きむしりながらも夢見る日々の方が、

絶対になれないと確定した日々よりも幸せだという現実。



強制収容所とは収容所の中だけではなく、

自由になったと思われる身になっても、

そのような絶望感に苦しみ続ける人々がいた場所。


二度と歴史は繰り返してはいけないけど、

今もなお、とある国では、そのようなことが行われているとの

噂も聞いたことがあります。


人類に本当の平和が来る日を願ってやみません。

が、まず自分達にできることを小さなことから


2025年8月12日火曜日

運命に導かれた人生──思考を手放し、心の声に従う生き方

オレンジ色の夕日へ続く曲がりくねった道を歩くスーツ姿の男性と、「運命に導かれた人生 思考を手放し、心の声に従う生き方」という日本語タイトルが描かれたイラスト。


自分の人生を振り返ると「運命」というものが
ぼやっと見えてくることがある。

ただ、今も「運命」の途中であり、
自分の人生が良かったのか、悪かったのかは
まだわからない。


では、いつわかるのか・・・


それは「死ぬ瞬間」かなって思う。


今、自分が経験している今現在のことも
もちろん「運命」の途中。


時々自分の過去を振り返ることがある。


頭でいろいろ考えて不安だったことは多々あった。


タイで生きることを決断したことも1つ。


頭の考えを最優先して生きていたら、
公務員を退職して海外に1人で
全財産15万円で飛び出すことはしていなかっただろう。


未来ばかりを考えていれば、
くて、不安で行動はできなかったはず。


でも、今の心に従ってタイに行ったからこそ、
タイで教師になることができた。


タイで教師になることができたからこそ、
今、日本でお世話になっていた方の
今の学校で教師になることができた。

全ての出来事が「運命」で導かれるように
「今この時点」に続いていた。

少しでもズレていたら、
今、この職場にはいなかっただろう。
出逢う人も変わっていたことだろう。


今までなこともたくさんあったし、
しいこともたくさんあった。


でも、今、この職場で働くことができ、
今、幸せをつかんでいるなら、
きっとそのために苦しみがあったのだろう。
そう思える今がある。


心に従って生きる。


人生そう簡単ではない。
そのような思いを生み、
実際に人生を複雑にしているのは思考のなせる業


思考があるからシンプルな人生は複雑になり、
複雑になるからしみが生まれる。


わかったような口を叩くほど生きてはいないけど、
そんな気がします。


何が正解かは死ぬ間際になってからでないとわからない。
死ぬ間際に、ああ幸せだったなって心から思えるか。
いや、思いたい。


そういえばアンドリューという映画を見ていて考えたことがあります。


例えばの間際
自分が心から愛する人がそばにいてくれるだけでも
このために生まれて来た。
人生はもう正解だったと言えるだろう。
また、逆にそんな大切に思える人の死の間際にそばにいたいとも思う。

お互いがそう心から思える人に出会えること。
そんな人に巡り合えたとしたら、もう奇跡なようなことなんだろう。


それがどれだけ難しいことか。

難し過ぎてあり得ない。
だからこそ、
映画、小説で、歌などで
何世代も同じように夢物語として表現されてきたんだと思う。


誰かが理想を思い描きながら、
空想に描きながら、
どこかにあるはずと信じ、手に入れられず命を全うし、
また次の世代が同じようなことを表現してきたもの。
し続けてきた奇跡のようなもの


それを今、手に入れて味わうことができている人がいるのだろうか。

もしいるのだとしたら、
それがどれだけ奇跡的で幸運なことか。
その奇跡に気付いているだろうか。


表現者がたどり着けなかった、
本当にあるのだろうか・・・
と夢に描いていたその物に
今目の前で自分が実際に体験できているという人生。


その幸運、奇跡的な人生を手に入れた時点で、
輪廻転生は終わりを迎えるほどの奇跡なんじゃないかな。
命を終えるまで決して手放してはいけないほどの奇跡


あなたの周りで、1等の宝くじを当てるより難しい、
歩いていて隕石にあたるような確率、
何世も輪廻を繰り返しても出会えないような人
そのような奇跡的な出会いをした人はいますか?


さらに出会うだけではなく、
結ばれた人っていますか?


話がそれてしまいましたが、「運命」について書いていたかな^^;

運命を大切にするためには思考から離れ、
心の声を聞くこと。
心の声に従っていたら、人生は、例にあげたようなことすら
起こりうる。

一度しかない人生。
心の声こそ、後付けで生まれた
社会から与えられた、先生に教えられた、親から教えられた思考より
もっともっと大切だなって
自分の人生を振り返ると思った今日この頃でした。


ではでは。

2025年8月8日金曜日

タイで久々に思い出した日常のイライラ体験|タクシーとカフェでの出来事

しばらくタイから離れていると、

良い部分ばかり思い出していたけど、

改めてタイで過ごしていると日本にいるときより

イラっとすることが多かったことを想い出しました^^;


今日はたくさんイラがあったのですが、1つだけ。


タクシー。

タイのタクシーの車内の写真


まず、家からセントラルワールドまでタクシーで向かったのですが、

渋滞がやばく、1時間以上かかりました。


渋滞にイラとしましたが、

それはもともと諦めているので、そこまでは問題なし。


が、エアコンの効きが超悪い。

車内なのに外??と思えるくらい。


運転手に聞くと、太陽が照らしているからだと。

いやいや、エアコン壊れれるっしょ?

と言っても、太陽が照らしているからだと。


まぁ、もう仕方が無いので、我慢して乗車。


で、目的地に到着。

198Bだったので、もう200Bで。


切りが良いからお釣りあるかな?

と思って1000B渡すと、

お釣りがない!と嫌な表情。


おい・・・さすがに800Bのお釣りが無いのは仕方が無いとは思うけど、

お客にその表情は無いだろ、と軽くイラっとしつつ、

500B札を。


するとまた同じ嫌そうな表情で釣りが無いと。

さすがにイラとしました。


仕事なんだから

300Bくらいお釣りを想定して用意しとくだろ・・・

観光客多い国なんだから。


しょうがないから息子から100Bを借り、

自分の20Bを5枚渡すと無言。

ありがとうという言葉は無くてもいいけど、

客に対してその態度は無いだろ。


さすがにかなりイラっとしたので、

エアコン壊れているは、お釣り準備してないは、

悪いタクシーにあたったな

って捨て台詞を吐いて出てしまいました^^;


ターミナル21についてもイライラおさまらず。

で、アイスコーヒー買ったら、

おしゃれな木製のトレーにプラスティックの容器に入ったアイスコーヒー。


おしゃれな木製のトレー・・・

つるつるすぎ!!!


微妙に傾いただけで、倒れ、アイスコーヒーがトレーの上でこぼれる。

で、慌てて直すも、ズボンがぬれてる惨事・・・


傾けたのは自分が悪いけど、どんなつるつるのトレーだよ・・・

ってイライラが^^;


さすがにイライラがなかなか抜けなかったけど、

とある方法で自分でも驚くほどイライラがすぐ消え去ってびっくり。


実はその前にもイラっとすることがあったのですが、

もうイライラばかり書いても仕方がないのでやめますw


ではでは。