2026年1月6日火曜日

絵の具のパレットでご飯を食べる

絵の具のパレットを知らずに生きている人に対してバカだなと言う人がいます。

その人が絵の具のパレットを買って、ご飯のお皿に使うとします。

小分けされた場所にはタレを入れることができて便利で、その人は喜んで使っていました。

他人はそれを見て馬鹿だと言います。

でも、パレットは新品で清潔。
それを使っている人は幸せです。

果たしてバカなのは誰なのだろうか。

私はパレットを幸せに使っている人はバカでは無いと思いますが、
やはりバカなんでしょうかね。

世の中にはこれと似たようなことがたくさんある気がします。

本当のバカって何なんだろうか。
そんなことを、朝のスタバで1人考えている自分はバカなのかな?w

2026年1月5日月曜日

コップの水

1杯の水の入ったコップが
机の上に置かれた。

その周りを多くの大人が取り囲む。

ある人はそれをありがたがり、神に感謝する。

ある人はそれでは足りないと不平不満をいう。

ある人はその水が取られないか不安になり、夜も眠れなくなる。

ある人はその水がいつかこぼれないかと不安になり、常に目が離せない。

ある人はそれは本当に水なのかと疑疑心暗鬼になる。

すると1人の少年が現れ、
迷いのない動きでその水をおいしそうに飲む。
笑顔であっという間に立ち去る。

周囲の大人は呆然とその幸せそうな表情の少年を目で追う。

そして我に返り机を見ると、
殻のコップがある。

お互い顔を見合わせ、
恥ずかしそうにうつむいた。

2025年12月29日月曜日

人生とオセロ

オセロは角を取られるといっきに全体が悪くなる。

人生も同じなのだろうか。

角を取られたからといって、人生全てが悪いものになるわけではないと思うけど、そう思えない人もいる。

角を取られることを恐れて
オセロそのものを楽しめない人は、オセロをしないほうがよいのだろうか。


人生における角は人それぞれ違う。


角を取るか取られるか、
はじめからわかっていれば
楽だろう。

人生なかなかそうはいかなそうだ。


人生とオセロは違うけど、
似ているところもあるのかな。

ふと頭に浮かんだだけ。

忘備録として
ここに残しておこうと思う。

2025年12月21日日曜日

永遠に続くもの

人は頭で考えて生きている。


だから、物事を自分の目と頭を通して、

ゆがんで理解することがある。


永遠に続くものはこの世には無い。

絶対に。

ダイヤモンドですら目には見えない程度で

今も劣化し続ける。


でも、自分の頭の中では永遠に続くものがあると信じる。


無いものをあると信じるのは自由。

他人に強要しないのであれば。


しかし、それを強要したくなる。

自分があると思えばあるとしか思えないから。


理解が得られなければと苦しむ。



永遠に続くものは無いのに、

それがあると信じる。

だから苦しくなる。


無いのだから、永遠に手に入らない。


入ったと思っても、心のどこかで無いと知っていて、

永遠を疑い続ける。

だから苦しい。


いずれにせよ、永遠を求めれば苦しい。


そうやって、遠い先にあると幻想を抱いている

「永遠に続くもの」を追い求め、

目の前にある幸せすら壊す。


そうやって、求めては壊す。

それを繰り返す。


と、頭でわかっていても、

やってしまうのが人間。

仕方が無いこと。


それが生きるということなのかもしれない。


お金があれば幸せ。

仕事でうまくいけば幸せ。


でも、それもきっと永遠には続かない。

もっと、もっと、もっと。

安心を得るために、もっと求め続ける。



そう考えてしまう人が悪いわけではない。

永遠に続くものを提供できない人、物、世の中が悪いわけではない。


何が悪いというわけでも無い。


ただ、そういうことが、生きていればある。

ただそれだけ。



永遠に続くと思われているものも、

壊れてみたらあっけない。


そして人は忘れる。

あっけなく忘れるのだろう。


そしていつもの日がやってくる。


悲しんでいても、壊れたものは戻らない。


あきらめる。

受け入れる。



いつか自分という存在も忘れ去られる。


俺も大切な何かを忘れる日が来るのだろうか。


そんなことは今はわからない。


ただ、今日を生きる。

その先に答えはあるのだろう。