2025年11月29日土曜日

自己肯定感を高めるとは?

自分の仕事には「 自己肯定感」って言葉を多用する傾向がある。


他の職業よりも頻繁に耳にする言葉だ。

頻繁に使うから、そこまで深く考えずとも使えてしまう言葉。


誰かに褒めてもらえば嬉しく、自己肯定感が高まる。

そう信じている人が多くいると思う。


でも、自己肯定感ってのは他人に高めてもらうものではなく、

自分で高めるしかないと思う。


もちろん、他人から褒めてもらって

自己肯定感は高まるような気がするのも事実。


でも、自己肯定感が高まったと思っている人も、

自分を冷静に観察してみたら、

高まったはずなのに

ふとしたきっかけで自己肯定感が高まったはずの自分

とは思えない行動をとっていることがある。


なぜか。


それは自己肯定感を高めるための土台となる自分が

ぐらついているから。


過去の自分の中にある「何か」がぐらついていたら、

結局、その上に何を積み上げようがぐらぐらで、

いつか崩れるかもしれない不安定な自己肯定感となる。


だから結局は遅かれ早かれ、

自分の中にある不安定な土台を見つめる必要が出て来る。


自分の中にある不安定な土台とは何か?


それは自分の奥底を見つめるしかない。

目をそらさず。


そうやって土台を安定させてからこそ

自己肯定感は真に高まっていく準備ができるような気がする。


安易な自己肯定感を積み上げても

いつか崩れるかもしれない。


この職業をしていて、他人を見つめているとそう思う。


自分の中にある不安定な何か。

それは自分しか知らない。

どうやって不安定を乗り越えるのか。

マニュアルがあるわけでも無い。


ただ、乗り越えようとする勇気が必要なこと、

これは確かなことだと思う。


2025年11月24日月曜日

「全力を尽くすとは何か──スタバで考えた“器用貧乏”な自分のこれから」


3連休のラストはスタバでお仕事。

ちょっと自分の仕事のことだけど、
夏から2つの山場を越えてきた。

それなりに力は尽くしてきたけど、
全力か?と聞かれればNOとしか答えようがない。

それなりにやって、傍から見たら成功だと言える結果を残してきたけど、
自分なりには手放しで成功だ!とは言えない。

余力はかなりあって、全力を尽くしてはいなかった。

今までの人生を振り返っても、
そんなもんだったなって思う。

器用貧乏。

何をやっても、人並み以上の結果を出せる自分がいた。

もちろん努力はしたけど、
そこまで追い込んでしたつもりは無い。

とりあえず、やるべきことがあって、
そのやるべきことで求められている水準を越える程度の結果を
出せればいいかな?という思いが心のどこかにある。

でも、根は真面目なのか、その水準で止まらず、
もうちょっとだけ努力をしては来た。
が、全力ではない。
まったく。

スタバで周囲を見渡してみると、
仕事している人、勉強している人が結構いる。

果たして全力尽くしてやっているのかな。

人間、そんなものなんだろうかって思いつつ、
そんな思いに逃げて生きていても、
あっという間に人生は終わり、
きっと後悔の念が残るのかな。

自分がやるべきこと。
やらなければならないこと。

遅いということはなく、
気付いた時がいつでもスタートラインだと思う。

果たしてこれからの人生で、
全力で取り組むことができるのだろうか?
と他人事のように自分を観察してみるけども、
結局やるかやらないかは自分次第。

さて、仕事しますか。
ちょっとは今まで以上の努力を尽くして。

2025年11月2日日曜日

ベーグルが教えてくれたこと──予測不可能な人生を穏やかに生きる

ベーグルが美味しい。そんなことを始めて気づいた2025年の秋。

自分がこんなベーグルにハマるなんて思いもしなかった。
もちろんベーグルは昔から認識はしていた。

むしろ、進んで買おうとしない代物だった。
が、今は自称ベーグル好き。


人生なんて予測不可能。

未来の自分がどんな判断をして何を好きになって、
何を嫌いになるか。

自分のベーグルのように、予測不可能なのが人生。


予測不可能な人生を、予測しようとするから人は苦悩する。
なぜなら、不可能なことをしようとしているから。

達成できない欲求が不満、不安となって、
ずっと心の中に残るから。

予測不可能な人生なんだから、予測するのをやめる。
すると、もっと心が穏やかになる気がする。

予測したって、しなくたって、

未来はあなたの思考とは関係なく、
必ずやってくる。

だから心配する必要ない。
心配しても、何も変わらない。


起こることは起こるだけ。
起こらないことは起こらないだけ。


自分が予測しようがしまいが、
結局、自分の思考とは関係なく未来は勝手にやってくる。


そんな未来を相手に、今、もがき苦しんで
葛藤して、不幸な気持ちになって・・・・


それで未来が変わるわけではない。

例え、そんな心でのたうち回っても、結局未来は来る。

のたうち回らなくても、同じ未来が来る。

違う未来が来る可能性だってある。
でも、それすら、自分の予測したものではなく、
勝手に来るだけだと思う。


だから、考えても仕方が無いことは考えず、
自然に委ねるように今を楽しむというか、
深く味わう方が幸せな気がします。


だから、今日もベーグルを味わえるなら味わいたい。
味わえないなら、かわりに目の前のあるものを味わいたい。

で、目の前にあるものは・・・
朝マックの珈琲。


うん。今日もおいしい。

2025年10月25日土曜日

「今を味わう──過去の料理を味わい続けない生き方」

 

テーブルに並ぶ料理を前に考え込む男性のイラスト。過去を反芻する心情を表し、「今を味わう──過去の料理を味わい続けない生き方」という日本語タイトルが描かれている。

牛ってのは、一度食べた食物を胃の中から再度口の中に戻し、

(ある意味虹色の・・・)それを再度もぐもぐするらしい。


でも、人間はそんなことをする必要はなく、

目の前の料理の味をしっかり味わうことができる。


でも、心となると別。


過ぎ去った、過去の出来事を、どんなマズかった料理であっても、

今目の前に美味しそうな料理があるにもかかわらず、

それを無視して、過去の料理の味を味わい続けて

苦い顔をして生きることがある。


こうして目の前にある美味しい料理であっても、

過去の頭の中の不味い料理を味わい続け、

けっして口を付けることなく、その料理が鮮度を失うまで

過去を味わい続ける。


そして、過去の料理を堪能したあとに、

鮮度を失った目の前の料理に不平不満を述べることもできる。


どんな料理であれ、

本当に味わうことができるのは目の前にある料理だけ。


その料理の味を楽しむことが大切だと思う。