2026年6月20日土曜日
イチローの言葉『自己肯定感は気持ち悪い』
野外映画館「トゥルーマンショー」
恵比寿ガーデンプレイスで野外映画を観ました。
「トゥルーマンショー」
昔観た事があったけど、今観ると感じ方が違いました。
トゥルーマンは世界中の人にドキュメンタリーとして閲覧され、
虚構の現実の中を生き、最後はそれへの気付きと共に抜ける決意をする。
自分の生活は・・・
もちろん現実だけど、虚構だと言われてもわからない。
自分は夜に夢を見ているとき、夢の中を生きているとは思わず生きている。
目覚めたとき、夢だったんだと気づく。
今の人生だって夢のようなものなのかな。
死んだときに夢だったと気づく。
そんなことはあり得ないとは、死んでみないとわからない。
生きているうちは、誰もが虚構の中を自分が主人公だと
思い込んで生きているのかもしれない。
だから何だ?ということではなく、
だから、夢の中のような今の人生を夢だからこそ
生きたいように生きれば良いのかなって思う。
何が虚構で何が現実か。
そんなことはどうでも良く、
ただ、今をどれだけ味わうか。
未来でもなく、過去でもなく、今目の前にある生活を味わう。
その先に何があるか期待せず、
過去あったことに後悔し続けることなく、
今を味わえたら、それでいいのかな。
野外映画を観ながらそんなことを少し考えていました。
トゥルーマンショー。観たことが無い人はぜひ。
2026年6月7日日曜日
歪んだ愛のカタチ
嫌いな人がいたとします。
今、目の前にはその嫌いな人がいない。
でも、頭の中で、過去にされた嫌なことを想い出す。
そして、未来にされそうな嫌なことを考える。
そうやって、今、目の前に嫌いな人はいないのに、
ずっと頭の中で時間を使って考える。
命=時間
これは誰もが納得する事実。
ということは、その嫌だと思っている人に
時間を使うということは、
自分の命を使っているということ。
自分の命をその人のために使っている。
命を使うほどの存在=愛にあふれている存在
そうなんじゃないかな。
マザーテレサがいった言葉。
愛の反対は無関心。
愛していなければ、無関心であるはず。
でも、目の前にその人がいないのに
その人のことを考えているのは愛しているから。
ただ、世間一般で言われる愛とは違う。
歪んだ愛。
もっと愛してほしかった。
これから愛してほしい。
そんな心のどこかに隠れた愛が
歪んで現れているような気がします。
断ち切る。
嫌いな人に命を使いたくなければ、
その人が変わらないのであれば、
過去が変わらないのであれば、
もう期待も願望も捨てて、あきらめるのが一番な気がします。
もういいか。
今までいろいろ学ばせてくれてありがとう。
はい、おしまい。
これでいいのかなって思います。
2026年6月6日土曜日
好きな人にいじわるする
男の子あるある
好きな女子にいじわるをする。
男性であれば、
ほぼ確実に小学生のころにこれ、経験したのではないでしょうか。
でも、大人になってもこれってやってしまうんだなって思う。
好きな人が自分が嫌な行為をしたとする。
すると、その行為をした好きな人を過度に批判してしまう。
好きな人なんだから批判するなんてありえない。
これは女子の言い分。
が、好きだからこそ、批判してしまう。
これも真実。
マザーテレサは言いました。
愛の反対は無関心。
もし、自分が嫌な行為を相手がいたとしても、
その人を愛していなければ無関心なはず。
でも、愛しているからこそ、気になって、
愛の大きさに比例して、
気になるから批判へと発展してしまう。
批判を肯定化したいわけではなく、
そういうことがあるってこと。
が、批判した自分を守る言い訳がしたいわけではなく、
そういうことがあるということなだけです。
その背景にあるのは、
やはり批判している自分が配慮の無い未熟な存在だということ。
批判しない愛だってあったはずだから。
それを選べない時点で自分は未熟だということ。
人生、まだまだ学びが多い。

