2018年5月22日火曜日

Facebookの誕生日通知を消して気づく本来の人との繋がり方


Facebookの誕生日を消しました。
5月12日が41歳の誕生日でしたが、
数人からメッセージが来たのみで
さらっと過ぎて行きました。


消してみた感想は
すっきりした1日だということ。


なんか昔からFacebookの誕生日がぐいぐい
通知されることが気になっていて、
なんかそんな関係が濃くもない人でも
メッセージをすることが義務のようになっているのが
違和感がありました。


年賀状という文化もSNSが無かったころは
好きだったんですが、
今のようにつながれる時代になると、
もう形だけになっている感がして、
終わっていく文化だなと考えていました。


そしてFacebookの誕生日通知も
形だけが先行してしまっている
ような気がしていました。


昔と違ってこんなに楽に交流できるSNSがあるのに、
日頃絡みが無い状態になっていても
誕生日だけは定型文のようなメッセージをくれる人もいて、
なんかプリントゴッコ、パソコンだけで刷られた
無機質な年賀状をもらうような感じがありました。


自分もなんか義務的にメッセージを送っていましたが、
なんか嘘っぽい気がして、
まずは自分の誕生日を消してみました。


するとさっきも言いましたが、
濃い繋がりの人たちだけから
メッセージのやり取りができた41歳となり、
なかなか心地よいものでした。

本来、人とのつながりってこうだったよな
といった感じがします。

12日には家族に祝ってもらったのですが、
なぜか今日机の上に娘からの誕生日プレゼント。

箱からすべて手作りしたとのこと。

中を開けてみると

魚のしおりでしょうか。

心がこもっていてうれしいものです。


やっぱ心だなぁ。


FacebookなどのSNSは
何かと人と人とを繋がりやすくしてくれる半面、
1本1本の繋がりの線が細くなっているような気がします。


かつての少なくても濃い繋がり方を懐かしみつつ。