ナチス強制収容所の人々が、
絶望的な環境の中で、精神的にも絶望的な状態で、
わずかに見える希望の光、
それは愛する人に再び出会えること。
それを思うとき、ふと絶望的な気持ちは軽くなる。
でも、その愛する人はもう存在しないかもしれない、
もしくは、収容所を自分が生きて出ることができないかもしれない。
愛する人に再会することは不可能だろうと苦しみもがき、
再び絶望的な気持ちになる。
収容所で永遠に続く可能様な地獄の日々。
でも、ある日、彼は収容所から解放される。
さぞ幸せだろう。
あなたもそう思ったはず。
しかし、彼は失意のどん底に落ち、
収容所での生活の方がましだったと思う。
いったいどういうことか。
彼が家に帰ったとき、
愛する人がすでにこの世にはいない事実を知ったからだ。
彼が経験する絶望は計り知れない。
愛する人と再会できるかも・・・というわずかな光を
絶望の中でも見ていた日々の方が幸せだったと思うほどの虚無感。
今より収容所の方が幸せだったと思う。
私たちが想像もできないほどの絶望感でしょう。
愛しい人と完全に別れ、二度と会えないことが確定する絶望感。
それに比べたら、あらゆることがましに思える。
愛する人と一緒になれることを
絶望的な環境、精神状態の中で、夢見る日々。
一緒になれないかもしれない可能性の高さに
胸を掻きむしりながらも夢見る日々の方が、
絶対になれないと確定した日々よりも幸せだという現実。
強制収容所とは収容所の中だけではなく、
自由になったと思われる身になっても、
そのような絶望感に苦しみ続ける人々がいた場所。
二度と歴史は繰り返してはいけないけど、
今もなお、とある国では、そのようなことが行われているとの
噂も聞いたことがあります。
人類に本当の平和が来る日を願ってやみません。
が、まず自分達にできることを小さなことから。