人間っぽさを失ってしまう人って
嘘っぽくて嫌だなと感じることがあります。
嘘っぽくて嫌だなと感じることがあります。
芸人先生という番組がNHKでやっていた。
和牛というお笑い芸人が
確かキリンという大手飲料品メーカーの営業に授業をしに行く企画。
ここに出てきた社員と芸人との会話の中で、
会社の中には、キリン以外の飲料は一本もありません!
と自信満々に答える社員がいました。
突っ込まれても維持になって、
絶対にありませんと答えていましたが、
すごく違和感がありました。
絶対にありませんと答えていましたが、
すごく違和感がありました。
私の価値観がおかしいのかもしれないけど、
私は会社人である前に人間であることを大切に考えています。
だから、会社はとっても大切なのはわかりますが、
その前に自分の人生が大切だと考えています。
キリン以外の飲み物が一本も無いと自信をもって答えるところに
他者を寄せ付けようとしない閉鎖的な感じをうけました。
それって私から見たら異常なんですよね。
コーラが飲みたければ飲めばいいし、
コーラが飲みたければ飲めばいいし、
キリン以外のお茶が飲みたければ飲めばいいですよ。
人間っぽくないです。
そんなことに囚われて生きることが
形にハマりすぎていてちょっと変な気がするんです。
形にハマりすぎていてちょっと変な気がするんです。
それをおかしいと思わないことにも疑問です。
村八分という言葉があるけど、
いじめってのは異質を嫌うところからスタートします。
いじめってのは異質を嫌うところからスタートします。
このキリン以外はないと言い切る人は、
他の人がキリン以外の飲料を買うことを暗に否定していることになります。
他の人がキリン以外の飲料を買うことを暗に否定していることになります。
社内でキリン以外の飲み物を机の上にあったっていいじゃないですか。
ときに違う飲み物を買いたくなることって
人間だからあって当然だと思います。
それを否定することが人間らしくないなって気がします。
村八分の発想です。
色々な価値観の人がいていいと思うし、
別にキリン以外の飲料を買ったからって
別にキリン以外の飲料を買ったからって
愛社精神が無いわけでもないはずです。
そもそも愛社って言葉も少し安易に使われ過ぎている気がします。
大学から卒業して、
数社面接を受けた中で受かった1社。
そこまで運命的な愛を注ぐことってできるのだろうか?
なんか自分に嘘をついて、
そう思い込んでいるだけな気がするのです。
創業者以外はもっとドライな関係なんじゃないかな。