息子は金曜の夜に手の小指の骨を折ってしまい、
一時は運動会は無理かな?
何て考えていました。
というのも自分自身が骨を折ったことが無いんです。
どれだけ動きで痛みが出るのかがわからないんです。
本人に確認するしかありません。
が、息子の参加への意志は強いものでした。
また、1日経ったら
痛みにも少し慣れるのか、
炎症が引いたのか、
痛みは問題を感じない程度になったので、
参加することができました。
ただ、徒競走には参加することができず、
席に1人座っている姿がありました。
座っていることは普通のことでも
周りの喧騒の中でポツンと座る姿は
ちょっと見ているこっちが
寂しい気持ちになりました。
が、本人は帰ってきた友達と笑顔で話して、
その表情を見て多少は安心しました。
そのあとの演目にはすべて出ることができました。
骨折という壁があったからこそ、
頑張る息子を見ていると胸を打つものがありました。
自分の学年の演目が終わっても
紅組の応援団として頑張っていました。
骨を折り、本調子ではなかったでしょう。
今まで休み時間を削って練習してきた様子は、
息子の言葉から私に伝わってきていました。
その練習の甲斐があるほど良い応援でした。
怪我の功名か
離れていても包帯のお陰で
すぐに見つけることができました。
6年生になっても、
ケガの振りして包帯まくってのも手かな?
なんて冗談ですが、
思ってしまうほど見つけやすかったです。
今日は本当に暑かったです。
30何度だったのでしょう。
ギラギラ照りつける太陽が上から、
照り返しで下から。
ちょっと歩くだけで汗がふき出してくるほど。
昼ごはんはゴールデンプレースの中で食べました。
いわゆるぶっかけご飯というやつです。
食後にキンキンに冷えたアイスカフェモカを飲み、
トイレで汗が渇いた顔を
冷水で洗い、かなりリフレッシュできました。
運動会の途中とちゅうで、
知り合いの先生や、用務員さんたちとも
話をすることができました。
当時を思い出し、
とても懐かしい思いがしました。
かつては自分も裏方として
走り回っていました。
今は、自分のことだけに集中していればいい
ということに贅沢さを感じます・・・
運動会の最中に自由に歩きたいところを歩ける。
途中でコーラを飲んだり、
お昼ご飯と冷たいカフェモカが飲める。
ただこれだけでも
いけないことをしているような背徳感があります(;^_^A
教師時代は、担任以外にも役割があったんで、
とにかく走り回っていました。
とくに用具担当だったんで、
次の演目のために道具を準備するだけでなく、
徒競走のときは、コースの線も引かなければならず、
とにかく全力疾走していました。
今は写真でもわかる通り、
線を引く必要もなく、
とても環境が良くなっていますね。
うらやましいです。
このバンコク日本人学校大運動会の
詳細なプログラム進行は裏方の先生方の努力のたまもの。
この分刻みのプログラムのお陰で、
出演前に並んでいる息子の写真も安心して撮ることができますし、
飲み物も買いに行くことができます。
保護者としては当たり前に思っていることも
裏ではてんてこ舞いなんです。
プログラム通りに進行させる先生方の努力を知っているだけに
頭が下がる思いがあるのですが、
見ている方にはなかなか伝わらないものなんですよね。
我が子を見ることに精いっぱいです。
まぁ、私も教師時代は苦労をわかってほしくて
走り回っていたわけではないんで、
別にかまいませんが、数分ずれただけでも
文句の声があることが( ;∀;)
人間というのは
良かれと思ってやっていることも、
慣れるとあって当たり前だと感じ、
要求が高まるのだなと感じたものでした。
夫婦も同じだったりして^^;
ただ、毎年思うのが
入口に立っている先生たち。
もっと他のことをさせてあげたらいいのにな
ということです。
演技を見ることもなく、
ずっとゲートに立っているなんて
なかなかきついだろうなと感じます。
日本人は真面目なので与えられた仕事に対して、
自分なりに意義を見出してやることはできる
とは思いますが。
今日は後半空の雰囲気が怪しくなりましたが、
何とかラストまで天候はもち、
子どもたちが帰宅して4時半くらいに降り始めました。
天候にも恵まれました。
今日くらいは、多少時間をオーバーしても
ゲームをさせてあげました。
骨折をしながら
本当に良く頑張ったなと思います。
親と子にとって一生思い出に残る運動会になりました。
物事は一見悪い状況だ!と思えることも、
受け止め方によっては良い状況になる
ということも今回は学べた運動会でした。
物事は事実としてそこにあるだけで、
あとは受けての受け取り方次第。
例え、骨折であっても。
来年がバンコク日本人学校の小学部との
直接の付き合いは最後になります。
教員時代から含めると、もう10年になります。
人生80年として、八分の1を付き合ってきたわけです。
教師としての4年間。保護者としての5年間。
思い出せばいろいろあります。
また来年、振り返ってみたいと思います。