バンコクは朝から大渋滞。
エカマイに行く道はどん詰まり。
朝からこれだけ精神的に消耗されたら生産性も低くなりそうです。
みんなそれぞれの場所で頑張っていて、
時には歯を噛みしめ、苦痛に耐えて頑張っている人もいます。
頑張るってことはとても素敵なことだけど、
誰もがまずは考えておかなければならないことがあります。
それは頑張る方向性です。
例えるなら、
ゴールが間違ったマラソンで頑張って走っても、
決してゴールには近づくことなく、
頑張れば頑張るほど、ゴールから離れているということも起こりえる。
例えるなら、
一生懸命に弓をひき力強く矢を放っても、
的を見ていなければ、
見当違いのところに飛んで行ってしまいます。
力の強さに比例して的から離れる。
何が言いたいかというと、
ゴールをしっかり見つめているのか?
自分にとってのゴールって何なのか?
そこを考えた上で頑張らないと、
頑張った量に比例してゴールから離れるかもしれないよ。
ってことです。
日本に生まれると
努力が美徳として語られるけど、
その前に、努力の方向性について
しっかり個人が考えている必要があるんだって思います。
人生折り返しの40歳を超えたからこそ、
そのことについては痛感しています。
自分の人生を振り返ってみたとき、
ゴールがまだまだ鮮明だとは言い切れないけど、
直観としては、方向性が間違っていないということは
なんとなくわかっています。
この方向性がなんとなく間違っていないというのは
かなり大切で、これから方向を微調整することに集中できるし、
努力してもゴールから離れることはなくなるわけです。
でも、40代になって、
もし初めてゴールのことを考え始めた人がいたとします。
考えた結果、自分の歩んでいる道が
全く見当違いの場所だったとわかったときの苦しみは
とっても大きいものでしょう。
でも、苦しみが大きくても目をそらさない方が良い。
人生は終わったわけじゃないから、
まだまだ方向を修正できます。
危険なのは、苦しみから逃れたいという本能から、
自分のゴールのことすら考えようとしないことです。
そのとき、出てくるのが社会通念。
世の中ってそんなもんだよ。
みんな自分のゴールなんてわかっていないんだよ
って、わかった風な感じで考えることを放棄したら
もう終焉への道を歩んでいることになります。
諦めたら試合終了。