個性的ということで逃げてはいけないって
最近つくづく思うのです。
最近つくづく思うのです。
個性という言葉は
とっても便利で、
他人から指摘されることで
自分の良いところを見つけることができます。
とっても便利で、
他人から指摘されることで
自分の良いところを見つけることができます。
でも「個性的だね」なんて言葉で
自分の欠点を許してもらえてしまうこともあります。
自分の欠点を許してもらえてしまうこともあります。
テレビを見ていたら、
自分より目上の人に対してタメ口を使って話す芸能人が
個性的だとチヤホヤされていました。
自分より目上の人に対してタメ口を使って話す芸能人が
個性的だとチヤホヤされていました。
これは超個性的なことが求められる
テレビだから成立することですよね。
自分たちがいる社会では
そんな超個性的なことは求められていなくて、
個性的であることが求められているはず。
そんな超個性的なことは求められていなくて、
個性的であることが求められているはず。
目上の人にため口なんて話していたら
礼儀しらずということで
生活に支障をきたします。
個性的というのは
自分の心に正直にしながらした振る舞いに見えてくる
全体的な雰囲気のようなものだって
私は考えています。
自分の心に正直にしながらした振る舞いに見えてくる
全体的な雰囲気のようなものだって
私は考えています。
ため口芸能人のように
短所をそのままにしてもいいってことではなく、
短所を直していく作業で個性を磨く必要がある。
短所を直していく作業で個性を磨く必要がある。
個性の尊重なんて言葉は
教師をしているとよく耳にするけど、
直すべきことは直すべきです。
教師をしているとよく耳にするけど、
直すべきことは直すべきです。
本人の未熟さから
逃げるために個性という言葉を使ってはいけないって思うのです。
逃げるために個性という言葉を使ってはいけないって思うのです。