3月上旬のタイは朝から27℃で湿度も高く
暑さがちょっと体にまとわりつくような感じがしています。
昨日はちょっと虚無感に襲われるという記事を書きました。
色々な終わりを経験して
心にぽっかり穴が開いたのかな・・・
それとも疲れか歳のせいなのかな。
忙しくしていると
ちょっとだけ考えて
また作業に戻るという時間の使い方で
なんか悪循環を感じました。
そんなとき
大切な場所がいつもの喫茶店。
あえて、作業から離れて
でちょっと考える時間をとりました。
虚無感の原因はどこにあるのか。
ふとそこである考えに至りました。
「やりたいこと」と「やらなければならないこと」
のバランスが原因かも。
忙しいときは
心の中にやらなければならないことが
溢れでていて、
やりたいことができずに日々が過ぎていきます。
そんな日々に
どこか苛立ちを覚えて
悶々としていたのかもしれません。
年末になると
どうしても事務的な仕事が増えます。
すると、
自分がやりたいことをする時間より
やらなければならないことが圧倒的に多くなっていました。
やらなければならないことが多いのは
仕事をしていたら普通だし、
暇よりはありがたいことです。
でも、自分はある時期から
人生は一度だけだという強い実感をもち、
そこからは自分がやりたいことをやって生きていこう
と決心してここまできました。
もちろん、やりたくないことを0にするという
無謀な決心ではなくて、
無意識でいると、やらなければならないことが
徐々に増えてきてしまうので
あえて舵をきるイメージです。
だから、やりたいことができていない状況に関しては
敏感に感じ取っていたのかもしれません。
読みたい本が読めない。
娯楽の本が読みたいわけではありません。
自分は「成長する」ことが
仕事にもなり、自分の喜びでもあるので
自分が成長するためにも
読書と思考はかかせないものなんです。
種を植え続けなければならない仕事だと
自覚しています。
でも、忙しくてそれが十分できていない日々。
さらに、タイ語の勉強もストップ。
整理整頓も中途半端。
さらにやらなければならないことが
溜まりつつある。
処理速度を越えて。
物だけではなくて
心の中、頭の中も断斜離しないと
重くて重くて虚無感に襲われるようになる気がしています。
もっともっと自分の想いを見つめて
生きていけるはず。
でも、心の中にいろいろなものが
詰め込まれていると
本当に大切な思いに気づけない自分が出てきます。
まずは、やらなければならないことを
1つずつ処理して、心を軽くすることが
重い気持ちから解放される
最善手だと思います。
こう意識を変えたとたん、
「やらなければならないこと」は
未来の「やりたいこと」をするための
「やりたいこと」に変わるから
心が軽くなるから不思議です。
気の持ちようは大切だなと痛感しました。
みなさんも年度末で
いろいろ大変なことがあることだと思います。
必ずそれらのものは減るときがきて、
心がすっきりする瞬間があるはずです。
そこを目指して1つずつやっていきましょう!