2017年12月12日火曜日
ルールがあるために人は考えなくなる
便利さなのか、効率なのか、
安全さなのか、
我が屋の駐車場にこんなゲートができました。
カード式。
目的は外部の人の侵入を防ぐため。
本当に無意味だと感じる代物です。
そもそもガードマンが2人常駐しています。
ガードマンの仕事を楽させるためだとしたら必要ない。
カードがうまく反応せず、
結局ガードマンがカードをもって
開けている姿も見られる。
余計な手間だ。
そもそも犯罪者であれば、
こんなゲートは余裕で通過してくる。
歩いてくればいいだけ。
バイクでも通り抜けることができる。
誰が迷惑をこうむっているかと言えば、
犯罪者ではなく住民だ。
何のための設備なのか、
何のためのルールなのか、
よくよく考えると変なことはいっぱいある。
今まで1人1人がしっかり考えていたのに、
ルールができた途端に思考がストップし、
ロボットのような人間が出きてしまう。
例えば、
子どもたちの例でいえば、
整列のための線を作って歩かせる行為。
本来なら線が無ければ
周囲の状況を見ながら判断して行動していたはず。
できない子もいるけど
それこそが学び。
周囲に誰もいないのであれば
多少列が乱れて歩いても
そう目くじら立てる問題ではない。
周囲に人がいたり
道幅が狭ければ列を整えればいい。
それにも関わらず、
歩くための線を地面に書いた途端、
どんな状況でも線の内側を
何の判断もなく歩くようになる。
進化ではなくて退化だと思う。
車の一時停止線も同じ。
見晴らしが良く、
どこにも車、人がいない十字路で、
一時停止線を徐行で通れば罰金を切られる。
一時停止線ができた途端、
目的がなくなり、ルールのためのルールになる。
前後左右に車、人のいない見晴らしのよい交差点で、
たった一台の車が
線の前で停止している姿は非常にシュール。
異様なことだと気づくべき。
そんなことがある気がします。