バンコク生活とは直接的には関係ないことなんですが、
自分の人生としては関係あるので、
書かないわけにはいきません。
イチロー選手の引退。
薄々考えていなかったことではないけど、
「ついに現実として来てしまったか・・・」
という思いがわいてきています。
「ついに現実として来てしまったか・・・」
という思いがわいてきています。
「お疲れ様」
「ありがとう」
「ありがとう」
様々な言葉がありますが、
私の心にはっきりとした言葉は浮かばず、
ただ「残念」という感情が。。。
私の心にはっきりとした言葉は浮かばず、
ただ「残念」という感情が。。。
アメリカでのプレーが19年目。
私も海外生活12年目。
私も海外生活12年目。
イチローの年齢が45歳。
私の年齢が41歳。
私の年齢が41歳。
自分の人生と重ねると言ったら過言ですが、
一方的に重ねて見る存在でした。
ともに海外という戦場で戦う同士
のような存在として見ていましたし、
私とは比べ物にならない最前線、
私とは比べ物にならない最前線、
激戦地で戦いを繰り広げる憧れの同士。
だからこそ、そのイチローが引退となると、
自分自身のことのように捉えられ、
自分の一部が無くなるような、
自分の一部が無くなるような、
同士がいなくなるような喪失感に襲われています。
ちょっと大げさですが、
人生の支えの一部を失ったような気すらします。
人生の支えの一部を失ったような気すらします。
でも、これはかつて長嶋茂雄選手に憧れた私達の父親世代も
経験してきたことなんでしょうね。
他にも千代の富士とかも同じなんでしょう。
ただ、自分にとってイチローは特別な存在で、
彼に関する書籍は5,6冊もっているほどです。
それほど生き方を尊敬している人で、
彼の考え方、言動を
自分の反省材料を見つける際のものさしにしているくらいだったので、
今は言葉が浮かばない寂しい気持ちを経験しているのだと思います。
今は言葉が浮かばない寂しい気持ちを経験しているのだと思います。
引退会見を見ましたが、
目の輝きは昔と同じで、
アナウンサーの質問の質にも厳しかったですね。
目の輝きは昔と同じで、
アナウンサーの質問の質にも厳しかったですね。
ただ、もみあげあたりから見える白い髪の毛は、
やはり歳月の流れを感じますし、
誰もが引退をする日が必ず来るという現実を
突きつけられているような気がしました。
私にとって引退とは何か。
その日はやってくるのは確実です。
人生に終わりがあるのも確実です。
そんなことをこのような引退だったり、
芸能人の死だったりを通して、
今まで以上に人生の終わりをリアルに感じるのが
40代だという気がしています。
だからこそ、
この40代は自分の人生を俯瞰して見つめ、
これからの後半戦を生きる上で
とても大切な年齢な気がしています。
イチローの引退。
数か月経てば、また元旦があっという間に
過去のイベントになってしまうように
この気持ちも薄まっていくのでしょう。
でも、自分の人生の時は流れ続け、
自分にとっての引退も近づいてきている。
引退試合、インタビュー、全てが晴れやかな表情だったイチロー。
自分もそんな清々しいやりきった表情でいられるだろうか。
いや、そういられるよう頑張っていこう。
そんな気持ちを忘れず、
人生の後半戦をしっかり生きていきたいと思いました。
イチロー選手の50歳のプレー、
見てみたかったです。
生きざま、かっこよかったです。
人生にプラスのエネルギーをくれて
ありがとうございました
そう伝えたいです。
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