2018年8月25日土曜日
死というインパクトが無くても気づきを得る
NHKの朝ドラの「半分、青い」を見ています。
内容のあらすじなんて書きませんが、
途上人物の中に「和子さん」という
原田知世さんが演じるお母さんがいます。
僕ら世代には懐かしいですよね。
自分のイメージでは
そんな顔が派手じゃないんで、
ぱっとするタイプじゃなかったかな?
でも、今のドラマではそんな派手さが無いところが、
かえって最高にぴったりきていて、
かけがえのない役どころでした。
が、亡くなってしまったんです。
病気の期間が長く描かれていたので、
覚悟はできていました。
「4日後」に亡くなりましたというナレーションと共に、
すっと穏やかな消えるような亡くなり方が
優しかったですね。
で、こうやって病気の期間が長いと
人は死に対して徐々に覚悟が決まってくるものですが、
元気なうちって気づけないんですよね。
病気で余命いくばくもない人と、
私たちは同じ時間を生きているはずです。
でも、余命幾ばくもない人は、
何か気づきのようなものを得て、
濃密な時を過ごす。
で、健康な私たちは、
まるで命が永遠に続くかのように
どうでもいいようなことに時間を費やしてしまう。
この差は、「気づき」ですよね。
病気という特殊な条件がなくても、
そのような気づきを得ることができるか。
そこで人生の濃さっていうのが
変わってくるだって思います。
気づきの機会というのは
日常のあらゆるところに転がっていて、
自分にとっては、
この半分、青いのドラマからも
インスピレーションを得ることができました。
こうやって私のブログを読んでいる人も
もしかしたら、この記事がきっかけで
何かの気づきを得ているってことだってあります。
情報は常に身の回りにあっても
読み手、受け取り手の意識1つで
価値が大きく変わるんですよね。
その価値を変えるのも自分。
私は41歳ですが、
残りの年数が40年ちょっとなんて考えたこともありますが、
そんな平均寿命を生きるなんて保証は
どこにもないという覚悟をもっています。
だから、今日という日を大切にしたいなって考えるわけです。
ただ、人間とは恐ろしい、自分が恐ろしい。
怠惰って付きまとうんです。
だから、自分の怠惰を戒めるためにも
何かのルーティーンをする必要があって、
このブログは私にとっては意識を高めに戻す
1つのツールでもあります。
ついでにこのブログを読んでくれている人にも
何か気づきをおすそ分けできていたら
嬉しい限りです。