無宗教の人間
朝からバンコクは晴天。
息子の登下校時にお坊さんの托鉢を見かけました。
時々見かけるんですが、
自分は無宗教だからなのか素朴な疑問が浮かびます。
細かい欲から解放され、
大きなことを考えるのも大切なんでしょうが、
小さなことも大きなことも表裏一体だと思うので
実は俗世に生きることこそ
精神修養に適した場はないんじゃいかな
なんて考えが浮かんできます。
日々修養中です。
芯を成長させるべし
20Bでアイス珈琲を購入して家へ。
この屋台は20Bの価格に見合う味でした。
甘ったるさと酸味の強さで
全部飲めませんでした^^;
お昼はRCAアベニューのカオマンガイトート。
行きかう人々はとても楽しそう。
新宿で営業職をしていた時代を一瞬思い出しました。
歳月の流れの速さたるや・・・
大人になると肩書きがどんどん増えてきます。
まるで天ぷらのころものように自分の周囲にもくもくと。
芯の自分が見えづらいからこそ、
外面の変化にとらわれて
自分の芯がほとんど変化していないなんて
寂しいことにならないように
芯を鍛える意識を忘れないようにしたいと思います。
お店の荷台の下で犬が昼寝。
今日は夕方まで天気が持ちました。
トンロー通りは空いていて、
気持ちの良い通勤です。
生きていることのありがたみ。
自分を1mmでも成長させること。
今日、子供たちに考えてもらったことは、
子どもたちが今当たり前に生きていることは
本当は当たり前ではないという意識。
アフリカなどでは生後間もなく死んでしまう赤子も。
戦時中は生きたいという強い思いもむなしく死んでしまう子も。
生きているからこそ、
無意味に時間を消費するのではなく、
昨日の自分より1mmでも成長しようという
気持ちが大切です。
馬を水飲み場まで連れていくことはできても
馬に水を飲ませることまではできない。
先生も指導技術はいろいろとあります。
それでも、実際に考えて成長していくのは
本人の意識にかかっています。
少しでもやる気に火をつけることができたら
と思いながら指導を繰り返しています。
子育てブログ記事もご覧ください。
火垂るの墓
家に帰り、まだ寝ていない息子と
火垂るの墓を10分程度見るということを続けています。
お世話になるおばさんの冷たさ。
残り少ない飴を大事に食べる兄妹。
飴がなくなった缶に水を入れて、
少し甘い水に喜ぶ妹。
8歳ながらに、
自分の生活を振り返って、
物を大切にしなければと感じたようです。
自分も胸が熱く思いがしました。
兄妹愛。
物質が豊かでも精神が乏しければ
それは精神的な飢えにつながります。
物質ではなく、愛を与える。
共に時を共有する。
そんなことが大切なんだなと感じます。
独り言でした。
ではでは。
バンコク学習塾・タイ語学校・英会話学校
TJブリッジ
代表 小川 一樹
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